母の期待に応えられなかった私に存在価値はない
私立中学でのいじめは、私を心身ともに徹底的に破壊した。
そして、一年ほど通学したあと、私は再び学校に足が向かなくなった。
学校に行けば、今日はクラスでどんな扱いになるかわからない。今日広がっている世界は天国か、地獄か。それは投げられたサイコロの目のように気まぐれなのだ。その偶然性に翻弄されることを考えると、思わず足がすくんでしまい、怖くてたまらなくなった。
ゴミならゴミで、ずっとそう扱ってほしい。そっちのほうが、どれだけ楽だったことか。そうして再び、私の引きこもりがはじまった。私の体は石のように固まり、動かなくなった。
もう、今度こそ終わりだ、と思った。
その瞬間、私という存在は完全に停止した。
私は、母の期待に応えられなかった。「人生が詰んだ」――まさにこの言葉がもっともふさわしい。母があれだけ喜んだブランド私立中学への進学。私は新たな環境で起死回生し、やり直すはずだった。母の生きられなかったバラ色の人生を生きるはずだった。
しかし、私はそのレールから、またもや外れてしまった。母の期待に応えられなかった私なんて、なんの存在価値もない。生きている意味なんて、ない。もう、すべては終わりなのだ。
そんな考えに支配されて、日々頭がおかしくなりそうになった。
いい大学に行き、いい会社に就職すること。徹底した学歴信仰。結婚せず、働き続けること。それが、母が私に望んだ成功ルートだった。そんな強迫観念が頭のてっぺんから足の先まで染みついていた私は、不登校になったことで、生ける屍そのものとなった。
私立中学を一年で退学
教育虐待の恐ろしいところは、親の期待から外れると即、無用のレッテルを自らに貼ってしまうところにあると思う。学校以外の大きな社会を知らない子どもにとっては、家庭と学校が世界のすべてになってしまう。特に私は、母によって視野狭窄な価値観を植え付けられていた。
それは子どもを必要以上に追い込み、自縄自縛にして心の底から苦しめる。そして、再起不能なほどに精神を病ませてしまう。
両親は、いじめを学校の責任にした。そして、学校側を責め立てた。しかし、私立中学は生徒の親の授業料で成り立っていることもあり、いじめの対応には弱腰だった。「いやなら、いつでも辞めてもらって結構」というわけだ。
結局、私は、私立中学を一年の終わりで退学した。
いざ退学してしまうと、学校とのつながりもプツリと切れてしまった。あの想像を絶するようないじめは確かになくなったが、それは学校という社会とのつながりを失うことでもあった。
だからといって今さら地元の中学に戻るわけにもいかない。あそこには、かつてのいじめっ子たちがいるからだ。義務教育なので籍だけは地元の中学に置くことになったが、私の足はどこにも向かなくなっていた。
母は、そんな私にしびれを切らしていた。
「なんであんたは、どこに行ってもいじめられるのよ!」
「わからない! わからない!」
私は、泣きじゃくった。本当に、わからなかったからだ。なぜ、自分だけがこんな目に遭うのか。どの学校に行っても、うまくいかないのか。いつもいじめの標的にされてしまうのか。なぜ? なぜ? 私自身が一番その答えを知りたかった。