虐待は、母の愛の証しだった

しかし、そんな私が唯一、母から愛情を受けることができる瞬間があった。それは、虐待されるときだった。弟が生まれてからも、母の虐待はまったく止む気配はなかった。

むしろ、逆にひどくなるばかりだったと言っていい。母は、弟が生まれてから外の顔と内の顔を巧みに使い分けるようになったのだ。家の外ではママ友たちに愛嬌あいきょうを振りまくようになり、家の中では私への虐待をエスカレートさせていった。しかし、弟に手を上げることは一度もなかった。

母は弟の育児のストレスのはけ口を、露骨に私にぶつけるようになったのだと思う。母にとって、私は完全にお荷物でしかなかった。それを、私も重々承知していた。

それでも母の暴力をただひたすら受けているとき、それは、私にとって母の愛を一身に浴びられる貴重な、喉から手が出るほど望んでいた瞬間でもあった。このときばかりは、母が私に向き合ってくれるのだから。

当然ながら子どもにとって、親は神のように絶対的な存在である。私は、母に与えられるこの痛みこそが、母のかたちを変えた愛情なのだと思い込むようになった。それは幼少期に母に植えつけられたバグなのだろう。バグは、今も私の人生に多大な影を落としている。

犬にベルを鳴らしてえさを与えると、ベルを鳴らしただけで唾液を分泌するようになる。それをパブロフの犬という。私にとって虐待は、母の愛の証しだった。私はパブロフの犬と同じく、痛みを与えられると、母から愛情を注がれる喜びを感じるようになった。そして今もパブロフの犬のように、愛情と痛みを切り離せないでいる。

すべての根源には弟という異質な存在の出現があった。

生まれたばかりの弟の首を絞めた日

とにかく私は、弟が憎くて憎くてたまらなかった。幼少期の記憶にあるのは、母からされた虐待と、弟への強烈な憎悪だ。やり場のない感情の風船は、最初は小さかったが日に日にふくれ上がっていく。今思うと、その中身は、ただただ「私を見て」という悲しみに満ち満ちていた気がする。そのひたむきで真っ黒な感情を、どうしようもなく制御できなくなっていた。

弟が邪魔で仕方がなかった。母の愛を独占し、周囲からでられ加護される、この小さな生き物さえいなければ、母が私を見てくれるのではないか――。そんな思いは日に日に強くなっていくばかりだった。

あの日は、今でも忘れられない。それは、ひもじい思いの詰まった風船が「パチン」と弾けた瞬間だった。

母が買い物で外出した午後のこと――。気がついたら私は、ゆりかごの中でスヤスヤと寝息を立てている弟の首に、手をかけていたのだ。

じわじわと私は弟の首を絞めあげていく。

「びえええん!」

弟の顔は徐々に赤らんでいき、尋常ではない声で泣き叫びはじめた。苦しみのあまり、弟の泣き声は極限へと高まっていく。

「どうしたの? 何があったの? こんなに泣いちゃって。かわいそうに」

数分くらいの時間が流れただろうか。隣に住むおばちゃんの声で、私は我に返った。おばちゃんは縁側からヒョイとうちの居間に上がると、弟を布団から抱き上げてあやし出した。私は、とっさにそ知らぬふりをした。

「だって突然、泣きはじめたんだもん!」

そんなことを言った気がする。

「おぉ、よしよし。かわいそうに。お母さんはどうしたの?」
「買い物に行った」

私はぶっきらぼうに答えて、きびすを返した。