「いい子ぶっている」と思われたくないからボランティアをしない
心の持ち方や心のありようで行動が変わる。行動を変えると心を変えることができる、ということは日常の中でよく聞く話でしょう。しかし、そこで終わらずに、「心」の曖昧さについても深く考えて伝えてみたい、と僕は思いました。
人は心にこだわる生き物だ。
特に中学生は自分を見つめて迷ったりする。
深く考えることは成長のために素敵だけれど、でも心にこだわりすぎてしまうとどうなるだろうか。
例えば、ある生徒は心の中で「ボランティアをしたい」と思っていた。しかし、まわりから「いい子ぶっている」と言われたくない。そんな気持ちもあって悩んだ。結果として、「ボランティアをやらない」ということを決めた。
もう一人はその逆で、内申書や受験に有利になる、と考えて毎日ボランティアを続けた。
さて、君たちはどっちの子が好きですか?
僕は全校集会で、生徒たちに問いかけました。
すると大半の生徒が「いい子ぶっていると思われたくなくて、ボランティアをしない子のほうが好き」と手を挙げました。
「そうか、なるほど。振り返ると僕もそうだった頃があるなあ」と伝え、すぐに「でも、どうなんだろうか」と投げかけました。
本質的な問いや価値観が子どもの心を揺さぶる
「純粋な理由からではなくボランティアを一生続けた人間と、売名行為だと思われたくなくてボランティアをしないまま死んでいった人間がいる。さあ、どっちの人の行動に価値があるかな?」
問いかけると、子どもたちは急に迷い始めるわけです。
僕はさらに聞きました。
「他人の心の中って見えるだろうか? その前に、自分の心だって見えないと僕は思うんだよね。例えば電車の中でおじいちゃん、おばあちゃんに時々座席を譲ることがあるんだけど、それは思いやりの心があるから譲ったのか、いい人ぶりたくてやったのか、今の僕ですらよくわからないんだね。自分のこともわからないのに、人の心の中のことなんかわかるだろうか?」
と正直に問いかけました。
校長の僕は、当時50代の後半です。その校長が「自分の心すらわからないんだ」と言うわけです。その時、子どもたちは「人間の本心に触れた」という実感を受ける。
うわあ、自分たちに向かって本当の自分の気持ちを言っているんだな、と直感するのです。
これまでの人生では聞いたことのない本質的な問いや価値観と出会うと、子どもたちは心を揺さぶられます。
「心の教育が大事、心を大事に」と繰り返し聞かされてきたけれど、自分の心がよくわからないと校長先生から言われて考え始める。
学校を変えていく時には、一人ひとりが自分の価値観を揺さぶられる体験をしなければなりません。
揺さぶられるところから、変化は始まるのです。