※本稿は、工藤勇一『校長の力 学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
教育界にあふれる「きずな」「心」という言葉
教育界には、「きずな」「心」「和を大切にする」といった精神主義的な言葉が溢れています。それらはいかにも抽象的で具体性を欠いており、教育についてはもっと具体的に課題を認識する必要があると私は考えています。
日本の教育に浸透しているこうした「心の教育」は一見するとわかりやすいようですが、よく考えてみると「心」という一字がいったい何を示すのか抽象的で曖昧です。何かを伝えているようでいて何を示しているかがわかりにくい。そのため、心の教育を大事にしていることの意味を忘れてしまいがちです。
良い行動ができる人になること。
それが教育の目標であり、心の教育がめざすところでしょう。
目標を実現するために、心を鍛えているのです。心の教育は、言ってみれば手段にすぎません。
しかし教育の場ではなぜか、心が一番大切なことのように扱われがちです。
そう、目標と手段とが入れ替わってしまうのです。
僕は麹町中の校長時代、この曖昧さと向き合い、曖昧な部分をきちんと言語化していくことが大切だと考えました。
全校集会での講話をコラムとして配布
そこで、全校集会でどのような話をしようかと考えて、ある時「心と行動、どちらが大事か」というテーマを取り上げました。
修学旅行で奈良・薬師寺を訪ねた時に聞いたエピソードから話を始めてみました。みんなの記憶に残っている具体的なエピソードが一番、生徒たちの興味をかきたてるからです。
話をする時は「どのような話題から入っていくのか」という筋立て・構成も、伝える工夫としてとても大事です。使う言葉や話のテーマ設定と同じくらい、時間をかけて考えるべきです。
また、話をしたらそれで終わりではなく、僕が考えていることを伝えるために、さまざまな発信の工夫をしました。
そのひとつとして、配布したのがコラムです。講話の内容をあらためてコラムの文章にまとめて全保護者に配りました。全校集会ごと、継続的にコラムを配布し続けたのです。
その理由は簡単です。
学校に赴任した最初の頃は、僕がいったい何者か、校長として何を考えているのか、皆さんはまったく知らない。そのため僕から積極的に発信することが必要でした。
今ならば、ちょっとネット検索すれば僕のインタビュー記事や書籍紹介等も見つかるので、工藤という人間がどんな考えを持っているかわかるかもしれません。しかし、麹町中学に赴任した当時は、他校から突然やってきた見知らぬ一人の校長にすぎません。