「春画」の展覧会をめぐる日英の差
「公的機関がなにもしてくれなくたって」と都築氏が気概を述べるとおり、文化行政からも税金での運営からも、同館は無縁である、縁がないから、制約もなく、炎上の危険もほぼない。
裏を返せば、それほどまでに今、公的な場所での催しは難しくなっている。
江戸期の性をめぐるアートについて言えば、性生活を描いた春画、その展覧会について思い起こせよう。
2013年、日英交流400年を記念して、イギリス・ロンドンの大英博物館で行われた「春画 日本美術における性とたのしみ(Shunga sex and pleasure in Japanese art)」は、入場者数が9万人に迫り、その6割が女性だったという。
けれども、「本場」であるはずの日本では、開催を引き受ける機関が、なかなか見つからなかった。「現場が前向きでも、『何が起きるかわからない』『イメージが悪い』などの理由でトップが判断を覆すこともあった」からである。
性にまつわる内容だけではない。公的なお金の出し方をめぐっては、近年、いくつもの困難が立ちはだかる。
「公益性」をめぐる最高裁判決
映画『宮本から君へ』(2019年)に対して、文部科学省(文化庁)の所管する国の独立行政法人日本芸術文化振興会(芸文振)は、内定していた助成金の交付を取りやめた。
その理由は、同作に出演したピエール瀧氏が薬物事件で有罪が決定したからである。裁判のなかで、映画を助成すれば「国が違法薬物に寛容だ」とのメッセージが広まる恐れがあり、「公益性」をもとに不交付を決めた、と芸文振は主張していた。
映画の制作会社「スターサンズ」が不交付決定の取り消しを求めた裁判は、昨年11月17日、最高裁判所で同社の勝訴が確定、すなわち、助成金を交付すべきだとの判断が下された。
ここで注目すべきなのは、最高裁の尾島明裁判長が示した、公益性をめぐる判決理由である。芸文振が不交付の理由とした「公益性」は抽象的な概念であり、それを理由に助成しないようになれば、選別の基準も「不明確にならざるを得ない」とした。
出演者や関係者の不祥事によって、映画の公開やテレビ放送が危ぶまれるたびに、「作品に罪はない」との意見が飛び交う。そうした意見は、今では広く受け入れられているのかもしれない。