表には出ず「知る人ぞ知る会社」でいい

そんな先代のリーダーシップと経営方針を胸に、1994年に河越さんは社長に就任。2006年には「寿スピリッツ株式会社」に商号を変更して、寿製菓を分社化した。

山陰の地方都市から全国市場に向けて、観光土産菓子を製造するようになり、地域にぴったりのネーミングや包装で菓子を売るノウハウを身につける一方、全国各地の経営不振の菓子会社を傘下に収めていった。

ここでまたその当時の面白い話がある。河越さんによれば「お菓子は昔は、“菓子”ではなく、草冠のない“果子”でした。果物そのものから作ったのがお菓子の由来なのです」という。そこから原点回帰し「草冠のない菓子づくり」というコンセプトで、土地の特産品を使った地域密着のお菓子を前面に出し、その商品は他地域では売らないという戦略を展開した。「どこで買っても中身が同じでは、消費者に失礼になる」からだ。

寿スピリッツグループで展開しているお菓子は、グループ会社が製造販売しているため、パッケージには、「寿スピリッツ製」とは書いていない。寿スピリッツは一般消費者にとって、知る人ぞ知る、そんな会社でいいと河越さんは説明する。

写真提供=寿スピリッツ
商品研究のため、毎日スイーツを食べているという河越さん。「世界一お菓子を食べる人だと思う」と話す

小樽洋菓子舗ルタオが誕生したきっかけ

そんな寿スピリッツの象徴的なブランドに、北海道の「小樽洋菓子舗ルタオ(LeTAO)が挙げられる。

北海道への進出を狙っていたある時、北海道で経営不振のチョコレート菓子会社があることを知った。しかし、チョコレートには弱点がある。夏場は気温が上がって溶けやすく、販売時期が冬場に限られてしまう。

それでも、北海道は観光や広さが魅力的だ。札幌市や旭川市などの大都市もあって大型店舗やドライブイン、空港といった観光客がお土産を求める場所が多い。いつか北海道の小樽か札幌に店を持ちたいと考えていた。

ここで河越さんは閃いた。経営不振のこの会社を買い取って、夏場は涼しい北海道でチョコレート菓子を売り、冬は全国で売ればいいのでないか。

こうして、1996年に株式会社コトブキ・チョコレート・カンパニーを設立(現・株式会社ケイシイシイ)。これまで和菓子を中心に展開してきた寿スピリッツにとって、初のチョコレート部門が誕生したのだった。