「子ども中心」だからこそ出生率が低下する

まず、「子ども中心」のつくり方は一つではない。

極論だが、「大人は仕事や楽しみを含む自分の人生を犠牲にして子ども中心に人生を考えるべき」という方針で政策を推し進めれば、「子ども中心社会」になる。しかし、こういう社会づくりに人々は合意しないだろう。

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子どもをもつのは、政府でも企業でもなく個人あるいは家族・世帯である。「子ども中心」が負担になるくらいなら、人々はむしろ「子どもをもたない」という選択をするかもしれない。それでも、非常に限られた人だけが子どもをもち、その子どもたちが社会的に重視される社会は、立派に「こどもまんなか社会」である。そしてこの「こどもまんなか社会」は、極端な少子化社会である。屁理屈へりくつに聞こえるかもしれないが、あり得なくはない。

そこまで極論を展開するまでもなく、子どもを大事にする社会が「多子社会」ではないことは家族社会学者にとっては常識だ。むしろ子どもを大事にするようになったことが、出生率低下の一つの要因なのである。家族社会学では、子どもや子育てが家族において重要な関心事になったのは近代化以降であるという見方をする(*1)

(*1)落合恵美子(2019)『21世紀家族へ:家族の戦後体制の見かた・超えかた』第4版(有斐閣)

「子ども中心主義」になったのは近代以降

近代化以前は、高い乳幼児死亡率もあり、親は現在ほどの強い愛着を子どもに持たなかった。幼くして死んでしまった子につけた名前を、次に生まれた子につけることも多かったが、この習慣はそれぞれの子のかけがえのなさ、個別性を重視する現代の親の心理からすれば理解しにくいだろう。

子育てにしても、必ずしも親が親身に行うとは限らず、乳母に預けたり、共同体の中で奔放に育てたりすることもあった。ある程度大きくなったら、他の家に奉公に出すことも当たり前に行われていた。

社会が近代化するにつれて、経済的生活水準が上がり、かつて行われてきたように、遺棄といったかたちで生まれていた子の数を調整する必要性も減る。医療・公衆衛生や栄養状態の向上もあり、乳幼児死亡率が下がる。生まれた子が無事成人する確率も格段に高くなった。生後1年未満の乳児死亡率は、1899年(明治32年)には人口1000人あたり153.8人だったが、現在では2人程度である。ちなみに乳児死亡率が150というのは、現在のたいていのアフリカ諸国よりも高い数字である。

こうして、親は生まれた子の成長を長期的に見守るようになる。また、子どもの数の減少や教育期間の長期化もあり、「少なく産んで大事に育てる」という意識が浸透する。政府の支援の有無に関わらず、社会はまさに「子ども中心主義」の時代になった。そして子ども中心の価値観が広がっていく中で、さらに避妊などの手段が浸透することで、子どもの数が減ってきたのである(*2)

(*2)山田は、日本では「子どもにつらい思いをさせたくない」という強い愛情があり、そのことが状況によって出生を減らしてきた可能性を指摘している(山田昌弘〔2020〕『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?:結婚・出産が回避される本当の原因』〔光文社新書〕)