このような失敗の結果、当然のことながら、西部戦線のドイツ軍は退却につぐ退却を強いられた。もはや頼みの綱となるのはライン川のみ。ただし、ライン川を天然の防壁とするためには、そこに架かる橋梁きょうりょうをすべて爆破しなければならない。

ドイツ軍はときに、肉迫してくる米軍部隊の眼前で爆薬に点火するといった、きわどい作業もこなしつつ、つぎつぎとライン川の橋を落としていく。そう、レーマーゲンのルーデンドルフ橋も、同様に爆破されるはずだった――。

爆破を先送りにしたドイツ軍将校

一九四五年三月七日、レーマーゲン地区守備隊長ヴィルヘルム・ブラートゲ大尉は困惑していた。この日、レーマーゲンの南北に米軍が進んできたと知った彼は、ただちにルーデンドルフ橋を爆破しようとしていた。

しかし、前夜、レーマーゲン地区に対する指揮権を継承したヨハン・シェラー少佐が待ったをかける。シェラー少佐は、上級組織であり、この正面を担当している第六七軍団司令部の副官だったが、派遣幕僚としてブラートゲを指揮するためにやってきたのだ。少佐は、可能なかぎり多くの将兵と装備をライン川東岸に撤退させることを望んでおり、そのため、橋の破壊をなるべく先延ばしにしたいと考えていたのである。

だが、敵は目前に迫っている。ブラートゲは、直接橋の爆破に当たる工兵中隊長カール・フリーゼンハーン大尉とともに、この新任の上官を説得しようと試みたものの、シェラーは、爆破の準備を万全にしておくようにと言ったのみで、その実行は自分の指示を待てと命じたのだ。

こうしたやり取りで時間が空費されるうちに、午後三時、ルーデンドルフ橋付近で最初の銃声が響いた。米第九機甲師団B戦闘団から抽出・編合された「エンジェマン任務部隊(タスクフォース)」が、ライン川に突進してきたのである。

これに対するドイツ軍の対応は、ぶざまなものだった。爆破の許可を求めるブラートゲと、ぎりぎりまで待てと主張するシェラーの押し問答の結果、午後三時二十分になって、ようやく爆薬点火となったが──不発となる。おそらく、砲撃で点火用の電気回路が切断されていたのであろう。

ルーデンドルフ橋(写真=US Army/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

柔軟性を失ったドイツ軍、臨機応変な行動ができた米軍

むろんアメリカ軍が、この千載一遇のチャンスを無駄にするはずがない。エンジェマン任務部隊に配されていた第二七機甲歩兵大隊A中隊の長、カール・ティンマーマン少尉は、ルーデンドルフ橋の奪取を命じられ、戦車の支援を受けながら、これをなしとげた。