ドイツ軍が持ち前の柔軟性を失い、硬直した対応しかできなかったすきいて、計画性偏重のきらいがあったアメリカ軍が、臨機応変の行動によって成功を収めたのである。

第九機甲師団B戦闘団が敵中を長駆進撃、ルーデンドルフ橋を急襲・奪取したことにより、ライン川という障害に通路が開かれることになった。ドイツ語にHusarenstreichという単語がある。「大胆不敵な一挙」という意味だが、直訳すれば「軽騎兵の一撃(フザーレンシュトライヒ)」になる。

ルーデンドルフ橋の爆破に失敗したドイツ軍にしてみれば、まさに、いずこからともなく現れた華麗な軍服の軽騎兵に、またたく間に斬り倒された思いであったろう。

1918年12月13日、ライン川にかかるルーデンドルフ橋を渡るアメリカ軍
1918年12月13日、ライン川にかかるルーデンドルフ橋を渡るアメリカ軍(写真=PD-EU-no author disclosure/Wikimedia Commons

橋頭堡の確保と拡大

奪取されたルーデンドルフ橋には、ただちに米軍工兵隊と橋梁部隊が派遣され、修理と補強にとりかかった。占領の翌日、三月八日の朝にはもう、増援された米第七八歩兵師団の先陣が橋を渡る。

第七八歩兵師団に続いて、第七九と第九九の両歩兵師団もライン川東岸に進んだ。これらは効率的な橋頭の拡大と前進をはかるため、一時的に第九機甲師団B戦闘団の指揮下に入った。

一時は、橋板に開いた穴に戦車がはまり込み、車輛が通行不能となることもあったが、アメリカ軍は組織の優越を見せつけるかのように、新手あらての部隊を東へと着実に送り込んでいく。橋頭堡を見下ろす位置にあり、脅威となっていたドイツ軍陣地も掃討された。

むろん、こうした重点変更は、アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官の承認を得ていた。レーマーゲンでライン渡河に成功したとの報告を受けたアイゼンハワーは、降伏したケルン市方面の占領に当たる予定だった五個師団を、そちらにまわすと決定していたのだ。

また、アメリカ軍は、予想外の地点に開かれたドイツ本国への門に、空の傘をさしかけることも忘れなかった。

ドイツ側からみれば、ルーデンドルフ橋を破壊するか、使用不能におとしいれなければ、西部戦線が決壊するのは明白であったから、たとえ満身創痍そういともいうべき状態にあったとしても、使用可能な航空部隊のすべてを投じて、反撃に出てくることは必至だったからだ。