戦災で紙くずになった商品券に対する“神対応”
時代はさかのぼり戦時中のこと、戦災で四日市の中心部が焼け失せたとき、岡田屋もまた全焼する。しかし、主たるお客様である郡部の人たちの多くは岡田屋の商品券を持っていた。それなのに、岡田屋が焼けてしまったと聞いたら、大損をしたと思い、商品券などあてならないと不信感を抱くだろう。
これは岡田屋の名誉にもかかわるが、それ以上に四日市のすべての商人の信用のためにならないと千鶴子は考えた。すぐさま、すべての商品券を現金と交換するという新聞広告を出す。お客様たちは「さすが岡田屋さん」とますます店に対する信頼を強くしたという。
その後、卓也が出征してからというもの、四日市の廃墟にも似た焼け跡には日に日に敗戦の影が濃くなっていった。しかし、岡田屋再建の種子はそのときすでに廃墟の灰の中にまかれていたのである。
また、千鶴子はたいへん勉強熱心な人だった。だから、商業が他の産業に伍して基幹的な存在になるためには、知識教育を行い、しかるべき人勢を育成することが必要だと考えた。だからどこよりも早く学卒を採用し、業界に先駆けて「オカダヤ・マネジメントカレッジ」を開講。一般大学の教養課程講座を中心にカリキュラムを組み、教養を身に着けさせることで人間としての成長を促した。
あの柳井正氏も、千鶴子にだけは手紙を書いた
教育によって、社員一人ひとりのレベルを向上させることができれば、お客様により高い満足を感じてもらえ、結果として企業力も高まるという千鶴子の教育者としての信念がそこにはある。このDNAはジャスコ、そしていまもイオングループに脈々と受け継がれている。
さて、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が大学卒業後、ジャスコに入社したことは拙著の冒頭に記した。じつはそのときに面接を担当したのが、人事部長であった千鶴子であった。ところが、柳井は10カ月でジャスコを退職することになる。
「それでも退職するときに、小嶋さんにだけ手紙を出しました。こういう理由で退職しますという手紙を書いたんです。この人だったらひょっとして僕の気持ちをわかってくれるんじゃないだろうかと思ったのです。それぐらいジャスコでは印象深い人でしたね」
柳井と岡田姉弟との縁はまだある。1994年、ファーストリテイリングが広島証券取引所に上場して間もないころ、倉本が主筆を執った「商業界」誌面上で岡田卓也と柳井が対談する機会を得た。そのとき柳井は倉本が唱えた「店は客のためにある」は「店員とともに栄える」と続くことを岡田から教わる。
以来、ファーストリテイリングは「個の尊重、会社と個人の成長」を重要な価値観の一つとして掲げ、社内人材育成機関「FR-MIC(FR Management and Innovation Center)」など従業員一人ひとりの成長と自己実現をめざし、能力開発に向けたさまざまなプログラムを提供している。「店は店員とともに栄える」という倉本の思想は、小嶋千鶴子から柳井正へ確実に受け継がれている。