妹の異変

就職した吉野さんは、毎晩のように飲み歩いた。退勤後に居酒屋に入り、朝まではしごした。若い女性が1人で飲んでいると、大抵誰かがおごってくれ、お金には困らなかった。居酒屋がつまらなくなると、キャバクラやスナック、ホストクラブにも通った。休日は朝から夕方まで飲みっぱなしで、気付くと路上で寝ていたことも一度や二度ではなかった。

それでもいつしか、「私は、母と違う楽しい人生を送りたかっただけなのに。なんだか違う……?」と感じ始めると、21歳になった吉野さんは、仕事に真面目に取り組み、家事を手伝うようになった。

そんな頃、東京の一流大学に合格し、1人暮らしをしていた妹から電話がかかってきた。

「そのときの妹の口調が変だったんです。私は心配になり、『とりあえず全部放り出して、すぐに実家に帰っておいで!』と言いました」

その翌日、実家に帰ってきた妹は生気がなく、別人のようだった。

昼間でもカーテンを締め切った暗い部屋で大声をあげたり、真夜中にステレオのボリュームを全開にするようになった。母親が「近所迷惑だから、お願いだからやめて!」と懇願すると、ますますひどくなった。食べ物を要求し、母親が買って来ると、スーパーの袋いっぱいの食べ物を一瞬で口に詰め込み、牛乳で流し込む。すぐに「足りない」と言い、また袋いっぱい買って来ても、あっという間に平らげる。

旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)

しばらくすると、妹は拒食になった。全く食べない日が数日続き、ガリガリに痩せ細る。そしてまた過食……。

この頃妹は、30キロくらいの増減を何度も繰り返した。

「妹は、子どもの頃から私の良き相談相手でした。物静かだけど聡明で、中学、高校と成績が良く、塾にも通わずにストレートで大学に合格した、自慢の妹でした。大学で充実した日々を送っているとばかり思っていたのに……。このときの私は、妹に何が起きているのかわからず、困惑するばかりでした」

ある晩、「夕飯ができたよ」と妹の部屋に声をかけると、返事がない。不審に思った吉野さんがドアを開けると、妹は真っ暗な部屋で、自分の髪の毛をハサミでジャキジャキ切っていた。

ショックで過呼吸を起こした吉野さんに、異変に気付いた母親が紙袋を押し当てる。

「私は、想像を超える出来事が次々と起こることに耐え切れませんでした。翌朝、両親に、『家を出たい』と言うと、母親は、『そうだね……。お姉ちゃんまで苦しい思いをすることはないからね……』と許してくれました。妹が一番苦しいときに、うろたえるばかりの両親を置いて、私だけ逃げたのです」