「スポーツの祭典を批判していいのか」元アスリートとしての葛藤

コロナ禍以前は五輪反対の機運が高まらず、積極的に賛成はしないものの反対というわけではない「どうせやるなら派」の強力な後押しもあって、社会では開催を歓迎するムードが大勢を占めていた。知人のジャーナリストから一読を勧められた『反東京オリンピック宣言』(航思社)を機に五輪研究を始めた私は、関連書物を読みあさるうちに五輪開催にともなう深刻な問題を知ることとなった。

膨れ上がる開催費用、招致に関わる多額の賄賂、関連施設の建設現場の現実(短工期の難工事に過重労働、移民労働者の使い捨てや賃金未払い)など、社会に及ぼす負の影響にたじろいだ。自らの無知を恥じるとともに、知ってしまった以上は伝えねばならないと居ても立ってもいられなくなった。

しかしながら私は元アスリートである。スポーツに育てられたからこそいまの私がいる。スポーツに多大な恩恵を受けておきながらスポーツの祭典を批判することには、やはり躊躇ちゅうちょした。

言うべきか、言わざるべきか。葛藤する私の背中を押したのは、過去の偉大なアスリートたちだった。

「空気の読めないイタイ人物」のように扱われた

黒人差別への抗議を、1960年ローマ五輪で手にした金メダルを川に投げ捨てることで表明したモハメド・アリ。同じく黒人差別に抗議したのが、1968年メキシコ五輪に出場した陸上選手であるトミー・スミス、ジョン・カーロス、ピーター・ノーマンで、表彰式に立ったトミーとジョンは黒の手袋をした拳を掲げ、白人のピーターは彼らに賛同して「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のバッジを胸につけた。かの有名な「ブラックパワー・サリュート」である。

メキシコ五輪200mの表彰式に出席するアメリカのトミー・スミス、ジョン・カーロスと、オーストラリアのピーター・ノーマン[写真=Angelo Cozzi/PD Italy(20 years after creation)/Wikimedia Commons

また、スノーボーダーのテリエ・ハーコンセンは、五輪のメダル至上主義が競技そのものの本質を損なっていることを問題視し、1998年長野五輪をボイコットするなど公然と五輪を批判した。過熱する商業主義に危機感を覚え、反対の意思を明確に示していたのだ。

おかしなことにはおかしいと声を上げ、行動に出る。その勇気を持ち合わせたアスリートの存在は、私を奮い立たせた。彼らと比べれば競技実績ははるかに及ばないながら、同じアスリートとして真正面から受け止めざるを得なかった。そうして2017年に五輪反対の意思表明に踏み切ったのである。

当初はものすごい逆風だった。いや、正確には無風だといっていい。スポーツ関係者は、まるで腫れ物に触るような態度で私に接し、五輪の話題は巧妙に避けられた。このとき私は、世間を取り巻く歓迎ムードに水を差す、空気が読めないイタイ人物だとみられていたように思われる。