誘致の意義を語る札幌職員は人形のようだった
講演に先立ち、札幌市内のショッピングモール内で行われた招致PRのオープンハウス&説明会に足を運んだ。空々しいパネルが展示されたスペースの一角で行われた説明会では、市の担当職員が淡々とした口調で招致の正当性を主張していた。その傍らには20代と思しき市の職員が、終始うつむきながらまるで機械仕掛けの人形のようにメモを取っている。
説明後に設けられた質疑応答では、質問や意見が次々に投げかけられた。
「汚職・談合事件が決着をみないなかでの招致は筋が通らないのではないか?」
「五輪招致よりも学校給食の充実に税金を投入すべきではないのか?」
「地方の各自治体は除雪や排雪に困っている。その対策を真剣に考えていただきたい」
切迫感をともなった参加者の言葉には熱がこもり、ときに語気を荒らげるほど真剣に訴えかけていた。
その様子を間近で見ながら感じたのは、質問の矢面に立つ市の職員も、本音のところでは五輪招致に意義を感じていないのではないかということだった。こわばった表情で質問を言葉巧みにはぐらかすその様子が、職務上はそうしなければならないのだと鼓舞しているように見えた。
そばでメモをとる若手職員も、あくまで仕事だからと自己正当化しているようで、誰とも目線を合わせないよう手元のノートに視線を落とし続けるさまに、思わず同情してしまった。もし、私がその立場だったら同じ振る舞いをしたかもしれないと。
招致断念で救われた人たち
9月末に、招致側のとある幹部が「30年招致の旗を降ろしたいのはやまやまだが、国やJOC、IOCと関係者が多く、降ろしたくても降ろせないんだ」と嘆いていたという(朝日新聞デジタル10月12日)。
この幹部はおそらく肩の荷が下りたに違いない。あの説明会で私が見た市の職員たちもまた、そうだろう。このたびの招致断念によって安堵したのは、反対運動にかけずり回った人たちのみならず、市民と向き合う現場で招致活動に携わらなければならなかった人たちもまた含まれるのではないか。