札幌市が2030年、34年の冬季五輪招致を断念し、以降の招致活動も暗礁に乗り上げた。元ラグビー日本代表で神戸親和大学教授の平尾剛さんは「スポーツは社会と密接に関わり合いながら行われるべき。しかし、札幌市の招致活動では、そうした様子は見られなかった」という――。
テレビ塔から見た大通公園の眺望
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暗礁に乗り上げた札幌市の冬季五輪招致

札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)は、10月11日の記者会見で、2030年冬季五輪・パラリンピックの招致を断念すると発表した。21年東京大会の汚職・談合事件の影響などで地元の支持が伸びず、開催経費増大への不安を払拭できなかったことが、その理由だ。

34年以降の招致を目指して仕切り直すとしたものの、会見からわずか5日後の10月16日に、国際オリンピック委員会(IOC)が11月中にも30年と34年の開催地を同時決定する意向を示したことで、その道は極めて困難となった。

この情勢を受けて、市民団体「札幌オリパラ住民投票を求める会」は、住民投票の実現に向けた署名活動を10月30日付で中止した。およそ1カ月の活動で少なくとも8500人の署名が集まったというから、招致断念を後押しする要因になったといえる。

もし38年以降の招致活動を行う場合にはあらためて署名活動を再開するというが、その38年大会も、気候変動による冬季五輪の開催地が減ることへの懸念から、持ち回り開催も含め新たな選考方法をIOCは検討しており、招致プロセスの見通しは立っていない。

冬季五輪の札幌招致はすっかり暗礁に乗り上げた。

招致活動中の札幌市で元アスリートとして市民に語ったこと

冬季、夏季を問わず五輪のあり方そのものに疑問を抱き、かねて開催の反対を主張し続けてきた私は、ホッと胸をなで下ろした。とくに開催経費増大による市民への負担がなくなったこと、そして東京大会での汚職・談合事件の司法判断が下されないなかでの招致活動がもたらすモラルハザードが防げたことに安堵あんどしている。

招致断念を発表した記者会見より1カ月以上前の9月2日に、私は市民団体「さっぽろオリパラを考える会」に招かれて講演をした。「オリンピックからスポーツと社会を考える」というテーマで、元アスリートながら五輪反対に至った経緯から、21年東京大会の振り返りを経て、札幌五輪に反対する意義について、蓄積された五輪研究を紹介しつつ自らの考えを口にした。