パリ五輪「超リベラル演出」の背景に国内政治対立

パリ五輪では、日本選手の活躍が連日伝えられ、日本中が沸いた。しかし、開会式の演出、セーヌ川の水質、選手村の暑さと喧噪、競技審判の公正さなど、さまざまな問題も指摘されている。

その背景には、今のフランスが抱える問題があるのではないか。7月のフランス国民議会の選挙では、どの勢力も過半数を確保できないという異常事態となったが、その政治混乱は、五輪後さらに先鋭化することが予想される。

私は1973年にフランスに渡り、パリ大学の大学院に籍を置きつつ、外務省、国民議会、元老院などで研究に励んだ。エッフェル塔近くのアパルトマンから、セーヌ川沿いに外務省、国民議会へと徒歩で通う毎日であった。また、ソルボンヌと元老院は近くにあり、このカルチェ(地区)も活動拠点だった。

国会では、フランス人の仲間と柔道に励んでいた。それだけに、今回のパリ五輪は、懐かしい場所での開催であり、心躍るものがあった。

バチカンも不快感

しかし、違和感を感じ覚えることも多々あった。

開会式では派手な衣装やメイクでドラァグクイーンの芸能人などが登場し、それが、レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」をパロディー化したことが、キリスト教を冒涜していると非難された。バチカンも不快感を表している。

サン・ピエトロ大聖堂
写真=iStock.com/MichalLudwiczak
バチカンも不快感(※写真はイメージです)

開会式の芸術監督であるトマ・ジョリーも同性愛者であるが、彼をはじめ、LGBTの大会関係者たちに対してSNS上で誹謗ひぼう中傷が相次いでおり、検察も捜査に乗り出しているという。

また、ギロチンで処刑されたマリー・アントワネットが自分の首を持って登場するパフォーマンスにも批判の声が上がった。

以上のような演出には、リベラルで自由な国フランスらしいという賛成論もあるが、少し行きすぎのような気もする。