統治不能な「宙づり国会」
RNとの協力は、他の2会派が絶対に拒否するし、与党連合と左翼連合の連立も不可能である。
左翼連合は、「不服従のフランス(LFI)」、社会党、共産党、環境政党から成るが、その中で最大勢力を持ち、ジャン=リュック・メランションに率いられるLFIは、マクロン政権批判の急先鋒である。
マクロンが国民に強いてきた年金受給年齢の引き上げなどの財政健全化に真っ向から反対。最低賃金の引き上げなどのばら撒き政策を掲げており、ウクライナ支援や中東紛争についてもマクロン政権とは異なる方針であり、両者の連携は無理である。
結局、どの会派も首相を出すだけの議席数(過半数は289議席)を持っておらず、統治不能な「宙づり国会」になってしまっている。
大統領と首相が共存する
第2次世界大戦後のフランスは、議院内閣制に基づく第4共和制であったが、不安定な政権が続いた。そこで、シャルル・ド・ゴールは、安定した強力な政権を生むために1958年に第5共和制を発足させた。肝心な点は国民が直接選挙する大統領に強力な権限を集中させることであった。
アメリカの大統領制に近いが、アメリカと異なるのは、日本やイギリスのように首相も置いた点だ。首相の任命権は大統領が持つが、議会多数派の意向を無視できない点では議院内閣制的である。
もし大統領が議会多数派の決定とは異なる政治家を首相に任命すれば、すぐ不信任されるので、実際には議会多数派が首相を選択することになるからだ。
ド・ゴールは、国会で安定多数を確保していたので、大統領と対立する会派から首相を選ぶことは想定していなかった。
ところが1980年代になって、大統領と首相が対立する会派から選ばれるという状況が生まれた。1986年3月〜1988年5月のフランソワ・ミッテラン大統領(社会党)―ジャック・シラク首相(保守の共和国連合)、1993年3月〜1997年6月のミッテラン大統領―エドアール・バラデュール首相(共和国連合)、アラン・ジュペ首相(共和国連合)、1997年6月〜2002年5月のシラク大統領―リオネル・ジョスパン首相(社会党)という組み合わせである。
これを、「保革共存(コアビタシオン)」と呼んだ。
いまだに次期首相が決まっていない
しかし、今回は保革共存ではなく、左翼、中道、極右の3つの勢力が拮抗する状況となったのである。
7月16日、マクロンはアタル首相の辞表を受理した。アタルは、次期首相が決まるまで職務を継続するが、暫定内閣であるため法案の提出などはできない。
また、NFPの内部でもLFIと社会党が対立し、統一した首相候補を提案できないでいる。
7月18日に国民議会が招集され、与党連合のヤエル・ブロンピベ前議長が3回目の投票で220票を獲得して何とか再選された。マクロンにとっては好ましい結果となったが、今後は彼女の議会運営能力が問われることになるし、次期首相に誰がなるかは不明である。
パリ五輪後のフランス政治は混迷の度を深めそうである。