家族の死体と他人の死体とでは180度違う

私どもが解剖で扱っている死体は、そのうちの三人称の死体です。もう一つカテゴリーがあります。それは二人称の死体でして、これは何かといいますと、死んだ親、あるいは死んだ恋人であるとか奥さんであるとか、友であるとかそういうものです。

これは私の定義では基本的には死んでないというしかない。

よく申し上げるんですけど、外へ出て道に出たら交通事故でだれか倒れていて、腹わたが出てしまい間違いなく死んでいる。体の緊張感がないから死んだヒトってすぐわかる。顔だけこっちを向いてる。その顔を見た瞬間に、それが自分の子どもであるとか親であるとかであれば、必ず側に寄っていくはずです。次に触ります。手をかけます。そして声をかけるということをする。

それが他人だったらどうか。遠巻きにして面白がって見ているか逃げちゃうかどっちかだと思います。つまりそういうふうに考えると、そこにある死体に対する行動が180度違うわけです。

モノだと思って解剖しているのではない

二人称と三人称で180度違いますから、そこにあるものは別なものというしかない。現代社会はある種の客観主義を持っていることは確かでして、その客観主義からすれば死体というのはたった一つの在り方しかない、つまり客観的な存在です。

養老孟司『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)

しかし私どもからすると、それはそうじゃありません。それは見る人の立場によって違って見えてくるものであって、少なくとも3通りに見えるものです。3通りという言い方はおかしいんですが、まあそう表現するしかない。

私の教室で起きたことですが、数年前にも遺族の方が教室にすっ飛んできたことがあります。その理由は、学生が亡くなった方をモノ扱いしてるんじゃないか。それが心配だから見せてくれというわけです。ちょうど解剖が始まる日でしたから、まだ傷がついてないので対面してくださいと申し上げて、お見せしたわけです。そしたら手を合わせてそのままお帰りになりまして、それで無事に終わりました。

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