姪はレイプされ、村の男性は全員殺害された

ところがそんなキャンプに閉じ込められていながら、たとえふるさとのミャンマーに帰れることになっても、このキャンプの中で死ぬことを選ぶという。いったい、なぜか――。

それは、彼女たちが母国ミャンマーで受けてきた迫害の歴史と関係している。

ロヒンギャの人たちは、1960年代から何十年間も迫害されつづけてきた。1982年にはミャンマー人としての国籍が法律で奪われる。その10年後には、25万人以上がバングラデシュに脱出した。

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そしてなんといっても、2017年のミャンマー軍による大規模なロヒンギャ掃討作戦がひどかった。

彼女たちの話をまとめると、こうだ。

ある日、軍隊がロヒンギャの人たちの村にやってきた。

「村に反政府派のアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の兵士が潜んでいる」。住民はそう言われて村から出ていくように強制され、財産はすべて奪われた。

ボランティア女性のうちのひとりには結婚を控えていた姪がいたが、その姪は連行されレイプされた。救出しようとした母親と小さな子どももレイプされた。その村には200人近く男性がいたが、全員が殺害された。

彼女たちは約14日間かけてバングラデシュに逃げたが、食料は5日分ほどしかなく、川の水を飲みながら逃避行をした。ジャングルを移動しているときも銃声は聞こえ、何度も死体を見た。

ミャンマーに戻るくらいなら、ここで死ぬ

イスラム教徒であるロヒンギャの人たちは、その数年前から5人以上で集まることすら禁止され、集団で祈ることもできなかった。

男性は家にいないとARSAに参加していると軍にうたがわれ、家にいると連れ出されて拷問された。夜は、電気やろうそくも使わずに夕食をとらなければいけないときもあったという。

そんな彼女たちが、ミャンマーからバングラデシュに向かって国境を越えたとき、とても安心したそうだ。

「生きていてよかった」と、はじめて「平和」というものを感じたというのだ。

だから、「もしバングラデシュとミャンマーの国境が開かれ、いまのミャンマーに戻ることが許されたら、そこに戻りたいか」という質問に対して、彼女たちは口々にこう言った。

「いいえ、むしろバングラデシュで死にます」
「私たちは自分たちの国を愛しています。もちろん、ふるさとに愛着があります。でもあそこでは、恐れずになにかを言う自由はありません」
「自分たちの土地や財産、祈りの権利、そして人間としての人権が戻ってこない限り、あの軍が政権をとった母国には帰れないのです」

ミャンマーにはまだ、離れ離れになった彼女たちの家族もいる。

本心は会いたいはずだ。彼女たちの悲痛な気持ちが、日本にいる僕たちに想像できるだろうか。