ルーツはバラバラ、遺伝子も多様

その意味で、古代日本はアメリカ合衆国とよく似ています。先住民も残っていれば、欧州やアジア、中南米から渡ってきた人たちもいる。アメリカはわずか250年であの広大な大陸を征服したため、先住民の殺戮もやっています。

しかし古代日本では、数百年かけて少しずつ渡来人が流入し、縄文人とも混血していきました。古代の日本にはいろんな顔の人がいて、価値観も多様だったはずです。「日本は島国で単一民族国家」ではないのです。

奈良県高市郡明日香村にある、飛鳥宮跡(6世紀末から7世紀後半)の遺構。(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons

よく見れば、日本人ほど顔のバラエティが豊かな民族はいません。およそ人種によって「この顔は○○人」と見分けられるものですが、日本人は顔だけ見てもわかりません。それだけルーツがバラバラで、遺伝子が多様だということです。

国民意識とは、我々がつくり出した幻想である

学校で地域の歴史をきちんと学ぶ機会がないことも問題です。北海道から沖縄まで教科書が一律であるため、古代史はヤマトの歴史ばかりが教えられます。

日本の歴史はそんな単純なものではないでしょう。ヤマト政権にとっての「日本統一」が、地方から見ればヤマトによる「侵略」かもしれません。教科書も都道府県ごとに違っていいと思うのです。

また、日本人とかアメリカ人とか、国民意識というものは、はじめから実態があるわけではなく、とくに近代化の過程において意図的につくられたものです。つまり、国民意識(ナショナリズム)とは我々がつくった幻想なのです。

では、地方国家のゆるやかな連合体が、一つにまとまるには何が必要だったでしょうか。それは、共通の敵です。サッカーにたとえるなら、普段は各クラブチームが競い合っていますが、ワールドカップになれば、日本代表「サムライブルー」として団結する。それと同じです。

日本列島各地の国々の共通の敵として現れたのが、中華帝国でした。強大な隋や唐が朝鮮半島にまで押し寄せ、今にも日本列島に触手を伸ばそうとしていたのです。

それが起きたのはいつか。中国が魏晋南北朝時代の混乱を経て統一され、隋や唐という強力な国家が出現したのは6世紀末以降です。隋や唐は朝鮮半島に侵攻し、今にも日本列島に攻め込む勢いでした。侵略の危機にさらされた日本列島は、いよいよ国家としてまとまらざるを得なくなりました。

もはや多様性を許容する余裕はなくなったというわけです。