愛国心が強すぎる九州南部の自衛官たち
福岡を中心とする九州北部は、炭鉱街や鉄工所などの荒くれ者の文化の血を濃く受け継ぐ隊員が昔は多く、そのころは若い小隊長が赴任すると、「やんごとなき世界に来てしまったなぁ」と思ったそうです。職人気質な人が多く、納得すれば仕事はいくらでもするが、気に食わないと一切仕事をしないタイプが多かったそうです。
逆に、熊本・鹿児島・宮崎の九州南部は、地方全体に愛国心が強すぎる人が多く、まるで大日本帝国がいまだに続いてるパラレルワールドの世界です。「国のために奉仕したい」「男の中の男になりたい」と心から思っている隊員だらけです。特に鹿児島と宮崎の隊員は、薩摩藩の支配地域出身が多く、野武士みたいな顔つきの人が多かった印象があります。
また、九州南部の隊員は、全国どこに行っても鹿児島県人会などを結成し、島津家の家紋と、「チェストー!」と書かれた独立武装勢力みたいな旗を掲げます。
熊本県人会は、鹿児島県人会に負けるのが嫌いなので、加藤清正公の兜のマークに「ひのくに」と書かれた旗を掲げます。「ひのくに」は大和朝廷時代の熊本の呼び名ですので、こちらも独立武装勢力みたいな振る舞いをします。
九州北部と九州南部の試合は「死合い」になる
宮崎県民は、県というよりも地域で団結する傾向が強く、
「俺は、宮崎県出身ではなく、薩摩の支配地域の出身だから、事実上の薩摩出身! つまり、みやこんじょー(都城)の男は、薩摩武士の血が流れとるんじゃ!」
と意味わからないことを言いながら、「みやこんじょー」と書かれた地理的な基礎知識のない人には一切理解できない県人会有志作成の旗を掲げたりします。
とにかく彼らは、日本よりも「薩摩」と「ひのくに」が好きなのです。
この九州北部と九州南部の部隊は、ライバル心の強いことで有名で、4師団8師団対抗銃剣道大会は、恐ろしい熱気と怒号と罵声の中で行われたため、もはや試合ではなく、「死合い」のような状況になっていたそうです。
そのあまりに異様な雰囲気に、審判が精神的プレッシャーに負けて体調不良になる、などの現象が起きたりしました。