在宅緩和ケア
木曜日9時。父親は何とかデイサービスへ行き、春日さんは病院へ向かう。
母親はベッドに横たわったままエレベーターで玄関のある階まで下り、介護タクシーに乗せられた。
自宅に着くと、家には7人の客人がいた。「このメンバーで在宅医療をサポートしていきます」。
地元の訪問医療クリニックの院長と医師と看護師、訪問看護事業所の代表看護師と看護師、地元の調剤薬局の薬剤師、ケアマネジャーの計7人だった。
春日さんが母親のこれまでの経緯を話すと、医師たちからは、どのように過ごしてほしいと思うかなどを聞かれたあと、在宅介護の具体的なやり方について説明がある。
医療用麻薬は、15分程度に1回、自動的に投与される設定になっていたが、母親が「痛い」と言えば、追加することもできた。ただ、一定量を超えると追加できなくなる。「訪問時にどのくらい追加したかを見て、その後の量を調整したいから、ボタンを押したときにはその時間を記録しておくように」と指示を受けた。
「もう強い痛みが出ることはないということでしたが、母はこのあとどうなるのでしょうか? 暴れる可能性もありますか?」と春日さんがたずねると、
「お母様は今薬で痛みを緩和しています。起きてお話しできる時間もありますが、今後は眠る時間が徐々に長くなっていきます。ゆっくり静かに眠る時間が長くなり……なので痛くて暴れるような状態にはなりません。逆にもしそのようなことがあれば、すぐに連絡してください」と医師。
「眠るように……とは、何日ぐらいかけてでしょうか? はっきり言っていただいて構いません。覚悟、できてますから……」
「ゆっくり、2〜3日かけて、ゆっくり、だと思います」
「わかりました」
春日さんは手続きを終えると、母親のそばに行って声をかけた。母親はゆっくりだが、話すことはできた。娘の世話要員として来てくれていた義母にも、「迷惑かけちゃってごめんなさいね」と気遣い、名前を呼びながら孫の手を取った。
そこからは、母親が「痛い」と言えば、点滴のスイッチを押し、「起こして」と言えばベッドを起こし、「下げて」と言えばベッドを下げ、「暑い」と言えば氷や水を口に含ませた。
16時半ごろ、父親が帰宅。父親は母親が退院してくることを忘れていたことを隠し、照れくさそうに「おう! 具合はどうだ?」と片手を上げて言う。母親は同じように片手を上げて「おかえり」と言った。瞬間、春日さんは涙が溢れた。
「父と母を会わせて良かった。帰ってきてもらって良かった。『顔も見たくない』という母の言葉をうのみにしないで良かった……と心から思いました」
その日は、義母が娘を寝かしつけくれたので、春日さんはずっと母親のそばに居られた。春日さんは母親のベッドの横に布団を敷き、横になったが、眠れなかった。
母親の死
土曜日の午前1時ごろ、母親の呼吸が荒くなり、春日さんは酸素の量を増やした。3時ごろ、うわ言のように「おかあさん、おかあさん」と何度も繰り返す母を見て、春日さんは「あ、育ての祖母に連れて行かれる」と思った。
6時15分ごろ、いつしか5分ほど気を失っていた春日さんがはっと目を覚ますと、母親の呼吸が止まっているように感じ、寝室で娘と寝ていた夫を起こす。夫とリビングに戻ると、母親は息を吹き返し、夫が「大丈夫だ」と言った瞬間、再び呼吸が止まった。6時20分ごろのことだった。
3階で寝ていた父親を呼びに行くと、医師と看護師の到着を待った。
6時50分ごろには看護師が到着し、エンゼルケアを受け、その30分後には、義父の運転で義母も到着。7時20分ごろに医師が到着し、死亡確認となった。