家に帰してください

「手術結果は電話しません。でも、何かあったらすぐに連絡します」と看護師から言われ、春日さんはスマホに目をやると「時限爆弾みたいだな」と思った。

娘と寝室に行こうとしていたその日の20時前、スマホが鳴った。夫も父親も同じ部屋にいたため「お父さんも聞いて!」と春日さんは言い、スピーカーにする。母親の手術を担当した医師からだった。

「お母様の手術ですが、無事に終わりました。ですが、想像していたよりも肝臓の腫瘍が大きくなっていて、いつ何があってもおかしくない状況です。また今夜黄疸などの症状が出た場合は、手術を希望されますか? ご意向を伺いたくてお電話をしました」

春日さんは、まだ母親が生きているということに安堵あんどしたが、突然投げかけられた質問に戸惑いもした。

「今夜また手術ですか? 母は何と言っていますか? 母の希望をかなえてあげたいんですが」
「わかりました。ではそのような状況になったら、お母様にまず伺います。ですが、娘さんにもどうされるかお伺いしておきたいです。あ、今即答しなくても大丈夫ですよ。考えてご連絡いただければ」

入浴剤の入ったバスと人が抜け出したベッド
写真=iStock.com/Katie Dobies
※写真はイメージです

「『また、母の命に関わる選択を迫られている』……と思いました。こんなに重い選択を何度も求められる日は、生涯でもこの日くらいではないかと思います」

春日さんは、「術後、痛いんですよね? 苦しいんですよね?」とたずねる。

「体にとても負担がある手術を短いスパンで繰り返すことになります」

春日さんは、「母が強く望まない限り、もうやめてください。痛いのはやめてほしいです。痛がるのはもう見たくない」と強い口調で言った。

「では、手術は希望されない、それでよろしいですね?」
「希望しません。いいね? お父さん」

父親は首を縦に振って、目を拭った。

「わかりました。では状況にもよりますが、退院後は施設への入所をご希望ということでしたね?」と確認する医師。

春日さんは、「はい、転院もしくは施設でお願いしたいです」と答えた。ところが「わかりました。ただ、それまで間に合うかわかりません」と医師は言う。

「え?」と春日さんは言葉を失う。

「先ほどお伝えした通り、いつ何があってもおかしくない状況ですので……」

改めて、はっきりと「間に合うかわかりません」と言われ、春日さんははっとした。

「ごめんなさい。ここに、家に、帰してください。母の、母が育った家なので。施設じゃなくて、ここに。ここに戻してください!」

半ば叫んでいた。医師は「ご自宅で、認知症のお父様は大丈夫ですか?」と心配する。

「大丈夫です。何とかします。ここに、家に、戻してください!」
「『もう長くない』という現実を突きつけられて、ただ母のそばにいたいと思い、叫んでいました。当時の私は在宅介護がどんなものなのかも知らず、それがみとることとも考えてはいませんでした。コロナ禍だったので、施設に入れば二度と母と会えなくなるかもしれない。それだけは嫌でした」