毒を持つソテツも極限状態では「恩人」にもなる

島々をめぐって、人々の話を聞く。島々をめぐって、石灰岩の割れ目から、化石のカタツムリをさぐりだす。そのようなことを交互に続けてきた。そうしたアプローチで見えてきたことがある。

島々をめぐり、人々と自然の関わりの記憶を記録するという作業は、本文中に登場した当山昌直さんや渡久地健さんのほかに、山口県立大学名誉教授の安渓遊地さんらとの共同研究の中で行ってきた。その成果の一つとして、2012年に、名護市にある名桜大学においてソテツサミットなる催しが開催された。

沖縄・奄美では、「ソテツ地獄」なる言葉を耳にすることがあるということを、先に紹介した。しかし、実際に島の方々の話を聞いて回った私たちは、「ソテツ地獄ではない。ソテツは恩人だ」という声に出会うことになる。貧困や飢餓という極限状態にあったときも、ソテツがあったからこそ生きながらえることができたのだと。それには、毒のあるソテツを食べるためのさまざまな知恵が伴っていたのだと。

その「ソテツは恩人」という言葉に出会い、ソテツに対しての一般のイメージを転換させるべく開催が試みられたのが、ソテツサミットだった。そして、このソテツサミットの開催をきっかけにして、『ソテツをみなおす 奄美・沖縄の蘇鉄文化誌』という本も出版されることとなった。

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生物文化多様性をさぐる「理科系のミンゾク学」

さまざまなことどもには多重の意味が伴い、それを明らかにするためには複合的な視点が必要とされる。

『ソテツをみなおす』の「あとがき」の中に、執筆者一同によって、この本に書かれた内容は「理科系のミンゾク学(略してリカミン)」という立ち位置で発信を行いたいという宣言がなされている。「理科系のミンゾク学」とは、生物多様性と文化多様性のつながりをさぐる試み、すなわち生物文化多様性をさぐるための試みだ。

境界線にたたずみ、その向こうの世界に目を凝らす。「理科系のミンゾク学」という立ち位置は、「あわい」の世界の学問であると、私には思える。