海洋島の大東諸島のカタツムリは個性的
琉球列島は地理的に見れば、日本本土の南端部に位置する九州の沖合から、台湾にかけて連なる島々である。しかし、カタツムリと人との関係史をひもといていくと、琉球列島は日本の辺境としての位置づけには収まらない。むろん、隣接する地域とのつながりはありつつも、その地に固有の自然と文化の存在が、強く意識される地域だということがわかる。以上のことを明らかにするための、より具体的、個別的な事例として、大東諸島と、与論島について、章をあらためて紹介した。
大東諸島は、海洋島という、主だった琉球列島の島々とは異なる地理的条件にある。そのため、島に見られるカタツムリは際立って個性的である。また、大東諸島は、その地理的条件ゆえに長い間無人島であった。その大東諸島に人々が移住してのち、島の自然は大きな改変を受けることになる。それは、一般にはあまり注目されることのないカタツムリにおいて、より顕著な現象となって表れている。
与論島は、生物多様性という面から見た場合、高島に比べれば限られた種類数の生物相しか見られない低島に区分される。しかし、往時の人々は、その限られた自然資源を持続的に利用してきた歴史がある。
地球資源の有限性が強く意識されるようになった現在、過去における低島の自然利用の実態、すなわち生物文化多様性の解明は、今の私たちの自然との関わり方を見つめ直し、今後の自然との関わり方を考える上でのヒントになるのではないかと考える。とはいえ、与論島の自然や文化は、「だれか」や「なにか」の「ため」に存在するわけではない。
どんなものごとにも多重性がある
どこに住んでいようと、そこはだれかにとっての辺境ではありえない。いや、たとえ辺境であると位置づけられたとしても、それは同時に、私たちにとっては中心である。ものごとには、そのような二重性があることを絶えず意識する必要があるように思う。
第二次世界大戦において、沖縄は日本本土の防波堤として位置づけられ、激烈な地上戦が繰り広げられるとともに、多くの県民が犠牲になった。ものごとを一義的に見たときに、どこかでこぼれ落ち、犠牲になるものが生じる。
例えば、フォロワー数という計測可能な数値が発言内容の有効性に直結してしまうような風潮は、ものごとの単純化と、それによる序列化が、より進行していく現代社会を象徴している。そのような中、時に立ち止まり、どんなものごとにも多重の意味があるということに気づくことの重要性を、カタツムリと人との関わりから見てとれる。