文章表現にみる「重い病」と「良い病」
(3)~と思う
自分の意見を表明する文章を書くと、つい語尾が「思います・思う」になってしまう。かなり意識して文章を書かないとこれは防げない。黒木登志夫さんは、これを「思い病(重い病)」と言っている。
自著、『いのちは輝く』の最終章で私が生命倫理に関して自分の考えを述べている部分を引用する。
この段落の中には5個の文がある。そのほとんどの文末に「〜と思います」と書いても日本語として成立する。いや、成立してしまう。すると「思い病」に罹ってしまう。自分の意見を述べるときは、断固として「思う」を使わないようにするべきだ。「思う」が並んでいる文章は稚拙に見える。
「会話の要約」で繰り返しは避けることができる
「思う」と並んで多いのは、会話のあとでの「〜と言った」である。これも頻出する。言いすぎである。これを「言い病(良い病)」と名づけよう。「良い病」を避けるためにはどうすればいいだろうか。
それは会話の内容を要約して表現すればいい。
「おい、お前。それでも外科医か」と教授は皮肉った。
「この若さで末期癌だなんてあんまりだ」と私は無念の思いを口にした。
傍線部の部分は「と言った」でも成立するが、私はこういう方法で「良い病」を回避している。
ほかからも引用してみよう。
毎日新聞2023年2月19日から引用
「などと猛反発」「と強調した」「との不満がくすぶる」で発言を受けるところがうまい。「〜と語った」とか「〜と述べた」では文章が拙い印象を受ける。
「と言った」を回避することで、「良い病」に罹らないで済む。