沼ちゃんが居場所を求めるワケ

沼ちゃんが貧しい女であることをものともせずマンションを買おうとする背景には、居場所を希求する切実な事情がある。

女子マンガが居場所の問題を描く際、「愛する人の側にいられるかどうか」「職場に自分のいる意味があるかどうか」を巡ることが多いが、これらの居場所はどうしても抽象的なものにならざるを得ない。しかし『プリンセスメゾン』では、マンションという具体的な居場所を巡る物語になっている。目に見えて、手で触れることができる居場所も、女子を幸せにする。このメッセージは、これまでありそうでなかったものだ。

白馬に乗った王子様に見初められ、彼の実家=お城で暮らすのが、シンデレラ・ストーリーの定型だとすれば、ひとりでお城を購入するプリンセスというのは、かなり型破りである。

モデルルームの受付担当で、やがて沼ちゃんと親友になる「要理子」が沼ちゃんを見て感じた「恋してなくても毎日を愛おしむことはできるんだって、/孤独が心をむしばむことなんてないんだって」という思いも、恋愛至上主義の呪いを解くようで小気味いい。ずっと沼ちゃんを担当していた伊達が「沼越さまは小さな巨人ですね」と語るが、本当にその通りだと思う。

沼ちゃんの人生は地味だがすごい。しかし、彼女のすごさはネオリベ(新自由主義)的な自己責任論に回帰するものではない。貧しい女がひとりでなんかうまいことやっている、というだけの話ではないのだ。

マンガに影響されて家を買う

マンションを買う貧しい女(しかも独身)に対する戸惑いや偏見を描くシーンが散見されることからも、本作がマジョリティの抱く価値観に抵抗を試みながら少しずつ前進する話として構築されているのがわかる。

ついでに言うと、沼ちゃんには、手のひらを相手に向けてぐっと突き出し「NO」を表現するクセがあるが、あれなどは身体に表れた抵抗のしるしだと思う。あからさまな告発の形を取っていないだけで、沼ちゃんは世の中のいろんなことに対して「それはおかしい」「わたしは受け入れない」と思っているんじゃないだろうか。

ちなみに、わたしには本作に刺激を受けてマンション購入に踏み切った知り合いが何人もいる。フィクションだとわかっていても、自分に近しいと思える人物がささやかに暮らしながら大きな夢を叶える様子に、心動かされずにはいられなかったのだろう。

大の大人がマンガを読んで家を買う。それってすごいことだと思う。