反対多数なのに、なぜなくならないのか?

一方で「人やかばんなどがぶつかり、危険と感じたことがある」の回答は横ばいであり、エスカレーターは歩くべきでないという考えが広まり、実際に歩行が減ったにもかかわらず「被害」は減らないのが実情のようだ。なぜ多くの人がやめるべきと考えながら歩行がなくならないのだろうか。

エスカレーターの歴史は古く、19世紀末に発明され、ニューヨークやロンドンでは20世紀初頭から鉄道駅への設置が始まっている。初期のエスカレーターは形状や原理が今と異なったが改良を重ね、1920年代には現代的なエスカレーターが成立した。

日本初のエスカレーターは1914年3月に上野公園で開催された東京大正博覧会で、「わが国最新の自動階段」という宣伝文句で登場したデモンストレーションである。また同年10月には日本橋三越に初の常設エスカレーターが設置された。

鉄道では1932年4月29日に開業した東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)三越前駅に、三越の負担で設置したエスカレーターが最初といわれ、同年7月1日にはJR総武線両国―御茶ノ水間延伸開業にあたり秋葉原駅総武線ホームにも設置。翌年に開業した大阪市営地下鉄(御堂筋線)にもエスカレーターが設置された。

「片側空け」を最初に呼びかけたのは阪急だった

ただしこの時代は東京大正博覧会から20年もたっていない。一般市民にとってエスカレーターは「アトラクション」であり、東京の「名物」だったため歩くといった発想はなかった。これら戦前のエスカレーターは戦時中の金属回収で撤去され、姿を消す。

鉄道駅におけるエスカレーターの本格的な普及は戦後、1960年代以降のことである。この時代を象徴するのは、1967年に高架化された阪急電鉄梅田駅に設置されたエスカレーターとムービングウォーク(動く歩道)と、1969年に当時最も深い駅として開業した営団地下鉄千代田線新御茶ノ水駅に、設置された日本一長い約41mのエスカレーターである。

ところが東西のエスカレーター文化は分岐する。梅田駅では阪急自ら「右側に立ち、左側を空ける」片側空けを呼びかけたのである。よって日本のエスカレーター歩行の発祥は大阪と言われる。

重要なのは、これは利用者が自発的に始めたことではないということだ。なぜそのようなマナーが求められたのかを解くカギは、目前に控えた大阪万博にある。つまり万博という世界へのお披露目の場において、エスカレーターの片側空けが必要とされたのである。