「右側をあけない鈍感な『立ちんぼカカシ』」

今から見れば、いかにも強者からの視点のように思えるが、実はリベラル側もこうした主張をしていたことは見逃せない。ベトナム戦争のルポルタージュなど「民衆側に立つ」ジャーナリストとして知られる元朝日新聞編集委員の本多勝一は、『朝日ジャーナル』(1992年2月14日号)の連載「貧困なる精神」で「エスカレーターのカカシ諸君へ」と題して次のように論じている。

「大都市は地下鉄がますます発達し、したがってエスカレーターが激増し、しかも長大なエスカレーターになったおかげで、右側をあけない鈍感な『立ちんぼカカシ』による迷惑が一段とひどくなったのだ」
「提案する。この奇妙なカカシ習慣を打破するために、次ページ(※)のような看板か張り紙を、エスカレーターの乗り口に出したらいかがだろうか。このページからそのまま拡大コピーして利用されたい。ゲリラがお好きな方は、これを切り抜くなりシールに治成して『適当に』利用してください」
※「エスカレーターでは、カカシ(立ちんぼ)は左側、歩く人は右側をどうぞ」

本多は規則として決められているわけでもないのに、周りを見ずに盲目的に立ち止まっているのは「貧困な精神」による非合理的、非進歩的な行為であると断ずるのである。

なぜそれが「歩かないで」に変わったのか

議論の流れが変わるのは1990年代末、特に2000年代半ば以降のことだ。それまでエスカレーターは都心の大規模駅、つまり速度や効率を重視するビジネスパーソンの利用が多い駅を中心に設置されていたが、90年代以降はバリアフリーの観点から中小規模駅へもエレベーター・エスカレーターの設置が加速し、利用者の多様化が進んだためというのもあるだろう。

この頃から昇降機業界団体やメーカーは「エスカレーターは歩行を前提とした設備でないため、つまずいたり転倒したりする危険がある」との立場を明確にする。かねてエスカレーター歩行に否定的だった営団地下鉄は1996年に有楽町線有楽町駅、桜田門駅、新富町駅、銀座一丁目駅に「歩かないで」と掲示。

2004年に名古屋市営地下鉄、2006年に横浜市営地下鉄が「歩行禁止」の呼びかけを開始すると、2009年4月にはJR東日本が、エスカレーターからの転倒などを防ぐ安全対策という位置づけで「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」を実施し、これが鉄道各社に広がっていく。

発祥の関西でも1998年に阪急が「お急ぎの方のため左側をお空けください」との放送を取りやめ、大阪市営地下鉄は2002年に右空けの案内を中止。2010年以降は関東私鉄、2014年以降は関西私鉄も「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」に参加し、現在に至っている。