「飲み物ではありません」はだれに注意している?
あんこをパンにのせるために、あんこの入ったプラスティック容器をパンに向けてパキッと折ろうとしたら、「必ず食品に向けてから折ってください。他に向けて折ると、衣服や体を汚す怖れがありますのでご注意ください」と書いてある。自分の方に向けて折る人がいるのだろうかと思ってしまうが、こうした注意書きに頼り思考停止に陥ると、注意書きがないと何も考えずに自分の方に向けてパキッと折る人も出てくるのかもしれない。
お風呂の掃除をしようとして洗剤を使う際に、何気なく容器の裏を見たら、「パックを強くもつと、液が飛び出ることがあるので注意する」「あふれないように、液をほとんど使い切ってからつめかえる」などと書いてある。こんなことは常識の範囲内だろう。
さらには「飲み物ではありません」とまで注意書きがある。うっかり飲んでしまうような幼児にはこのような文字が読めるはずがないので、この注意書きは大人に向けたものなのだろうか。あるいは注意書きを考える人自身が思考停止に陥り、うっかり飲むような幼児が字を読めないことに気づいていないのだろうか。
「思考停止→事故→過剰な注意書き」の悪循環
いずれにしても、こうした注意書きに頼ることによって、思考停止に陥り、注意してもらわないと気づかないという人が増えているのではないか。
ちょっとしたことでクレームをつける人がいるため、こうした過剰なまでにていねいな注意書きをするようになったと思われるが、そうすることで自ら考えて注意する習慣がますます失われつつあるように思われる。
そのせいで怪我をしたり、むせたり、喉に詰まったり、衣服を汚してしまったりといった事故が起こり、ますます過剰な注意書きが記されるようになっていく。そんな悪循環が生じているように思われてならない。