外出する服装までアドバイスするように
ところが、このところ天気予報がやたらお節介になっている気がする。たとえば、降水確率や最高気温・最低気温、気温の日中の変化を予想するだけでなく、「薄手の上着を羽織って出かけた方がいいでしょう」「傘を忘れないようにしましょう」「今日のうちに洗濯しておいてください」「交通機関に遅れが出るかもしれないのでいつもより早めに出ましょう」などといった具体的なアドバイスまでするようになってきた。
これは視聴者の身になって役に立つアドバイスをしているのであって、親切になってきているのだと言えるのかもしれない。
しかし、こうした具体的なアドバイスまですることによって、他人任せの依存的な生き方を身につけさせることになる。天気予報の情報を参考に、翌日あるいは当日の自分の置かれるであろう状況を予想し、行動を決めたり対策を立てたりすることができなくなる。
いわば、懇切ていねいなアドバイスをもらうことに慣れてしまい、自分で情報を総合して考え判断する心の習慣が失われていく。
耳をふさぎたくなるほどうるさい駅のアナウンス
電車に乗るたびに思うのは、駅のアナウンスがあまりに過剰なことだ。都心部の駅のアナウンスは、いつも思うのだが、異常にうるさい。駅員は絶えずアナウンスをし続けている。駅員も大変だろう、声がかれないかと心配になる。
心配すると同時に、そこまでしなくてもいいのにと思ってしまう。
もちろん親切でアナウンスしてくれているのだろうし、何番線に並べばよいのかわからない人や電車の行き先がわからない人の助けになることもあるだろう。だが、それにしてもあまりにうるさいし、言っている内容も、そこまで頻繁に繰り返さなくてもいいだろうと思わざるを得ないものが多い。
「線の内側までお下がりください」「降りる人が済んでからお乗りください」「お忘れ物のないようにご注意ください」「小さなお子様の手をつないでください」など、非常にていねいなのだが、そんなことをいちいち言わないといけないのだろうか。
言われなくても当然のことだと思うが、あまりに懇切ていねいなアナウンスをするせいで、アナウンスがないと自分から注意する心の習慣が失われていくのではないだろうか。過保護に育てると、自立心が乏しく依存的な子に育つというのと同じだ。