同性愛を犯罪視していた欧米の事情

日本の現状は、欧米での積極的な取り組みと乖離かいりが目立ち、当事者のためにも、日本の国際的地位のためにも速やかな対応が必要だ。ただ、1970年代から論じていた立場からすれば、欧米での急進的すぎる対応には、歴史的事情が背景にあると思うし、日本がもっと早くから先回りして対応していたら、日本人の感覚を生かした政策を進め世界をリードできたのにと悔いが残る。

私がLGBT問題の存在を初めて意識したのは、大学時代の刑法の講義で、平野龍一先生(元東京大学総長)から、「日本の刑法には欧米と違って同性愛と近親相姦を処罰する条項がない。その理由は、同性愛は日本では処罰すべきものという価値観がないからで、近親相姦は法律に書くのも嫌だったから」と聞いたときだ。

フランス国立行政学院(ENA)に留学した当時、同性愛は刑法犯罪だった。ところが、1981年5月の大統領選挙で、ミッテランが刑法改正を公約にし、翌年に同性愛は刑法の処罰規定から削除された。ENAの講義でも担当の政府高官が取り上げ、私に「日本では犯罪でないらしいが、風紀が乱れないか」と質問したので、心配ないという説明をしたことを覚えている。

当時は、刑法で罰するのは行き過ぎかどうかが問題だったが、市民権を得るや、それが素晴らしいことと言わなければいけないムードになった。

日本も「肩身が狭い社会」の改善が必要

欧米の人種差別への峻厳な嫌悪感の根底に、奴隷制度への反省があるのと同じで、刑罰にしてLGBTを抑圧したことの反動がある。ただ、多くのキリスト教国(米国の一部の州を含む)やイスラム教国も含めて、否定的な価値観もなお健在で世界的なコンセンサスは成立していないのだから、犯罪とみなしたこともない日本で、同等の過激な意識改革や制度化はピンとこない。

ただ、日本もLGBTの人々にとって理不尽に肩身が狭い社会に感じられるわけで、現状を改善することを先延ばしすべきでない。

安倍元首相は欧米諸国と「価値観同盟」を提唱して外交の軸としたし、日本は貿易投資立国でもあるから、欧米の価値観に敵対すれば外交の基盤を失い、国際的な企業にとっては不都合となるので、経団連が法案を推進するのは当然だ。