東日本は「まぐろ さけ」、西日本は「たい ぶり あじ」

次に、好きな魚が地域的にどのように異なっているかを図示してみよう(図表2参照)。

分布図に選んだ魚は、「赤身」の魚の代表として「まぐろ」、「白身」の魚の代表として「たい」、背中の青い「青魚」の代表として「あじ」と「ぶり」、そしてこれらには分類されないが日常よく食べられている「さけ」(※)という5種類の魚である。

(注)さけの身が赤いのはまぐろなどとは異なって餌として摂取された甲殻類の赤みによるのであり、筋肉の種類からは実は白身魚である。しかし身が赤いので白身魚とは見なされることが少ない。

こうして作成した分布図を見ると、大きく、東日本では、「さけ」と「まぐろ」、西日本では、「たい」と「あじ」、そして北陸と四国などでは「ぶり」が好まれていることが分かる。

さけは、東日本の中でも、日本海側で目立っており、まぐろは、太平洋側で目立っている。おおまかには、それぞれの魚が回遊、遡上そじょうし、水揚げも多い地域かどうかの差が反映している。

日本の考古学のサケ・マス文化論では、遺跡の分布から見て縄文時代には東日本の方が西日本より圧倒的に人口密度が高かったが、これは東日本の河川を遡上する豊かなさけ類資源が一因とされている。現代でも東日本でさけが好まれているのは、縄文時代以来の長い伝統によるものと考えられるのである。

関東の海なし県は軒並み「マグロ好き」

まぐろについてランキングの上位を見ると、山梨、栃木、埼玉と関東の内陸県が上位に多く入っていることに気がつく。これは、冷蔵・冷凍技術が今ほど発達していなかった時代から、他の魚と比べて、まぐろは刺身用の魚が運びやすかったからだと考えられる。

例えば、消費支出額ランキング1位の静岡に次ぐ、2位山梨の甲州市のHPにはこう書かれている。

山梨県がマグロをこよなく愛するルーツは、江戸時代まで遡ります。現代は全国各地に新鮮な魚を運ぶことが出来ますが、江戸時代はそう簡単にはいきません。江戸時代には、魚を新鮮なまま運ぶ限界の距離を「魚尻点うおじりてん」と呼んでいました。その当時、静岡県の駿河湾ではマグロが豊富に獲れ、静岡の界隈ではマグロが流通していました。そして駿河湾からの魚尻点がちょうど甲府だったそうです。そのため、静岡のマグロが甲府を中心に流通し、山梨県の食卓にマグロが浸透していきました

江戸時代や明治時代に山梨県に届けられる魚は、魚尻点のため、特別新鮮なわけではありません。そのため、寿司屋の技術で魚を酢で〆たり、漬けにしたりして、生の状態に近い魚を味わっていたのだそうです。そのため、山梨県には寿司屋が多くあるのだそうです(総務省が2015年に公表した経済センサス基礎調査によると、山梨県が人口比で全国1位なのが「すし店」の数。10万人当たり30.3店舗)

日本人はマグロが大好きとされているが、マグロを好んでいるのは、実は、東日本の太平洋側、特に関東圏に偏っているといえる。