犯罪の問題と栄養不足は関係がない

暴力や犯罪などの問題を、特定の栄養素の不足と関係づけようとする解説も多い。

シナプスを介したニューロン間の信号伝達では、ナトリウムイオン、カリウムイオン、カルシウムイオン、グルタミン酸、γアミノ酪酸、ドーパミンなど、非常に多くの物質が働いている。それらの中から、食品の栄養素として聞き覚えのある物質を取り上げ、それを食事でしっかりとっていないから脳がおかしくなっているという解説は珍しくない。

たとえば、よく取り上げられる栄養素がカルシウムである。今から15年ほど前にテレビ番組で紹介された医師の解説によると、脳の信号伝達にはカルシウムが必要であるが、現代の子どもたちはそれが不足しているためイライラしているという。

この前半部分は、正確にはシナプスでの信号伝達に必要な物質はカルシウムではなくカルシウムイオンであるが、大きくまちがってはいない。しかし後半部分は意味不明である。たしかにシナプスでカルシウムイオンが不足すると信号伝達は難しくなるが、それがイライラにつながるかどうかはまったく不明である。

食品に含まれる栄養素は脳に直接影響を与えない

そもそも、ある栄養素を食べたからといって、それがそのまま脳に直接届いて働くわけではない。

櫻井芳雄『まちがえる脳』(岩波新書)

たしかに食品中の成分は血液中に入ることで脳にも運ばれるが、血管の壁とニューロンの間にはグリア細胞のアストロサイトがあり、そこを通った物質だけが血液中からニューロンに届くからである(血液脳関門)。この関門を通れる物質は、酸素、ホルモン、ブドウ糖、アミノ酸などに限られており、食品や大気から血液中に入った物質のほとんどは止められてしまい、脳に直接影響をおよぼすことはない。

これは脳を守るための重要な防御メカニズムである(ただし、アルコールや特殊な薬物は通過してしまう)。もちろん、カルシウムをはじめとする栄養素をある程度摂取することは健康を保つ上で必要であり、複雑なメカニズムを介して身体にも脳にも影響をおよぼしている。

しかし、牛乳や魚からカルシウムを沢山取っても、すべてがそのまま血液中に入るわけではなく、また血液中から直接脳に届くこともない。当然、脳内のカルシウムイオンがそのまま増えシナプスでの信号伝達がよくなるということもない。このことは、脳に効くと宣伝されている多くの食品やサプリメントについても同様である。

「いい切る専門家」には注意すべき

この医師はさらに、子どもたちは糖分を取り過ぎており、その結果、インシュリンが体内に大量に分泌され、それが大脳皮質の機能を低下させることで情緒が不安定になっているとも述べていた。これも最後の部分はまったく意味不明である。インシュリンが大脳皮質の機能を低下させることも、また大脳皮質の機能が低下すると情緒が不安定になるということも、ほとんど根拠がない。

わかりやすい単独の原因を指摘したり、手っ取り早い解決法を述べたりする専門家は、これからも絶えずマスメディアに登場するであろう。マスメディアは常に、わかりやすい言葉で「いい切る」専門家を求めているからである。しかし、脳が関わる問題の原因はたいてい複雑であり、解決法も単純ではない。

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