まるでイワシの群れのようだ

【養老】たぶんそうでしょうね、いまの自民党がそうですから。

【藻谷】おっしゃっていた通り、自民党は「みんなで考える党」ですからね。

【養老】そうです。

【藻谷】「みんなで考えて」と言いながら実際にやっているのは、横目で他人を見ながら横並びで、目の前のことに条件反射すること。

その際に考えているのは、「みんな」とのつかず離れずのペース合わせだけ。それが「考える」ということなら、横にいる仲間の動きに瞬時に合わせる習性のあるイワシの群れなんて最高によく考えていることになりますが、とにかくそれを繰り返して、日本はかなりうまくやってきました。

ですが、関東大震災の時に皆と同じように陸軍被服廠の跡地に大八車に家財を積んで避難して、そこで数万人が一緒に焼死してしまったというようなことも起きている。

その教訓を踏まえて、みんなで考えるのではなく、どう動くかを自分で考えて、判断して、行動をせねばなりませんね。

【養老】それは当然です。

【藻谷】「自分で考える」といいながら、ネットの偏った意見に左右されているだけの人も多いですね。これも形を変えた「みんな(=見解を共にする仲間内)」で考える」です。

みんなで考えている人にとっては、みんなが「あそこにあるぞ」と言えばなかったものでもあることになるし、みんなが「あそこにはない」というと、あるものが見えなくなってしまう。

コロナウイルス騒動が典型でしたが、何が事実で何が勘違いなのかが自分で認識できず、みんながどう言っているかという認識しかできない。

みなが気づくまで気づかず、みなが気づいた瞬間に自分も……。

当たり前のことが当たり前でないと気づくために「学び」が必要

【養老】「俺も考えていた」と言い出します。

【藻谷】それも日本の「みんなで」の教育のせいなのか、日本はそもそもそういう国だから教育もそうなっているのでしょうか。後者なんでしょうね。ですから根は深い。無意味だとわかっていても、またみんなで考えてしまう。

養老孟司、藻谷浩介『日本の進む道 成長とは何だったのか』(毎日新聞出版)

【養老】そうならないためには、身体を使うことが大切です。ガスや電気が止まったときに火を起こせるのか。トイレがないときにどうやって穴を掘るのかとか。そういうことから「学び」は始まります。だから、都市化が進み、身体を動かして経験することが軽視されている風潮は危険だと思います。

僕は小学校2年生で終戦を迎えて、それまでの常識が180度変わりました。僕は組織や国の言うことを信じてはいけないと身に染みてわかっています。以来、教科書も当てにしません。当時は本もなければ、紙もありません。食べものにも事欠く中で「学び」とは生きるために必要なものでした。

日常生活で見過ごされているような当たり前のことは、案外、複雑にできているものです。当たり前のことが当たり前でないと気づくためには、学ばなければいけません。

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