芸能活動

やがて馬場さんは大学に入学すると、大学2年生の頃から、自ら俳優スクールに入り、演技の勉強を開始。端役だが、何本かドラマに出演する。テレビ番組のオーディションを受けまくると、何本か受かり、リポーターの仕事もこなした。ミスコンテストを受けたり、モデルの仕事をしたりすることもあった。

テレビ局に出入りするようになると、ある事務所のマネジャーに声をかけられ、「この業界目指すなら、事務所に入らないとダメだよ!」と言われ、そこで初めて事務所という存在を知る。結局、その事務所のオーディションを受け、トップで合格。

その後、東京の大手芸能事務所のオーディションにも合格し、「レッスン無料、寮も用意する」と言われたが、母親に大反対され、諦めた。

「あの頃、もっと勇気があって、親の反対を押し退けられたら、どんな人生が待っていたのだろうと思うこともありますが、当時は、枕営業の時代。私も放送作家やディレクターに誘われましたが、枕営業までして仕事が欲しいと思いませんでしたし、オジサンが苦手だったので、全て断りました。後悔はありませんが、女性に対してそういう扱いをするのが普通で、それを受け入れないと生き残れない業界だと痛感しました」

事務所を変えたところ、誘われることはなくなったため、仕事を司会やリポーターを中心としたものに切り換えた。大学を卒業すると、収入の足しにと歯科医院でアルバイトをしながら、芝居の養成所に通った。

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だが、順調にはいかなかった。馬場さんが24歳の頃、母親がイライラすることが増え、「大学まで出したのにアルバイト生活なんて!」と馬場さんの顔を見れば罵倒してくるように。

そんなある日、いつものように母親と口論になっていると、ついに「もう出ていけ!」と母親。馬場さんも売り言葉に買い言葉で、「出ていくわ!」と叫ぶと、そのまま家を出た。

アルバイト先の歯科医院の2階が空いていたため、歯科医師に頼み込んでしばらく住まわせてもらい、貯金をした。自分で部屋を借りて出ていったのは、その2年後。家を出てからしばらくすると、母親との関係も回復していた。