結婚と離婚

芸能活動も徐々に軌道に乗り、夢中で働いていた馬場さんは、31歳の頃、友人の紹介で38歳の男性と出会い、結婚した。

「おとなしく無口な人で、100点満点とは思わなかったけれど、仕事柄業界について理解があったので、結婚を決めました」

2人は1995年に結婚。新居は、夫の実家から歩いて3分ほどのマンション。このマンションは、夫が独身時代に親の勧めで購入したものだった。

ある日、馬場さんが帰宅すると、突然、カーテンが別のものに変わっていた。「彼が独身の間は、義母が洗濯や部屋の掃除をしていたようで、結婚しても、彼が合鍵を返してもらっていなかったようです」

馬場さんが実家に帰る予定だった日には、義母が突然玄関を開けて入ってきて、家の中で馬場さんと鉢合わせに。「あら、まだいたの?」と言われ、馬場さんは愕然。

「普通、息子の新婚家庭にカギ開けて、勝手に入ってきますか? 子離れしない義母に、気持ち悪さと恐怖を覚えました」

義母に嫌悪感を抱くようになった馬場さんは、義実家から3分のところに住んだことが間違いだったと思い、夫と話し合い、マンションを売って、義実家から車で1時間の距離にある賃貸マンションに移り住む。数年後には、同じ地域で新居を購入した。

ところが夫の勤め先の社長が変わり、新しい社長は夫を契約社員に降格。暗に退社を促されていると感じた夫は、馬場さんの紹介でメディア関係の会社に転職。ところがあまりにも仕事ができず、クビに。

「義母のことで私が悩んでいても、夫は無関心。イライラも積もりました。夫は思いやりもなく、私が熱を出しても何も助けてくれず、車とサーフィンに夢中。この頃から離婚を考え始めましたが、子どもが小さかったので我慢しました」

夫は転職活動に真剣に取り組む様子もなく、馬場さんが進捗をたずねると、逆ギレする始末。仕方なく、馬場さんがまたつてを探し、知人に仕事を紹介してもらったが、その頃には馬場さんは、夫といると自分が情けなくなり、嫌悪感さえ覚えるように。経済的にも馬場さんを頼り、貯金を取り崩していく。

海岸に上がるサーファー
写真=iStock.com/kohei_hara
※写真はイメージです

2011年。78歳になっていた義母は、認知症の症状が出ていた。離婚を決定づけたのは、そんな義母にお金を借りてまで、サーフィン用の車を購入したことだった。

「この人とはもう無理!」と思った馬場さんは、17年間の結婚生活を強制終了させる。

12歳の息子は馬場さんが引き取った。

「元夫は、結婚に向いていない人でした。責任感も思いやりもない、冷たい人でした。コミュニケーションが下手で、今思えばADHDだったと思います。離婚後、義母の代わりに義理妹が元夫のお金の管理をしているようで、1円も養育費をもらえませんでした。息子が中学になる時でしたから、生活と教育費でしんどかったのですが、元夫は私たち親子には無関心で、息子にも連絡はありません。本当に変な人でした」