『戦後革命論争史』を自己批判した上田氏と不破氏
1956年から57年にかけて、日本共産党の上田耕一郎氏(後に日本共産党副委員長)と弟の不破哲三氏(前日本共産党中央委員会議長)による『戦後革命論争史』(上下巻、大月書店)が刊行された。この本は日本共産党内部での綱領をめぐる議論や闘争方針についての疑義などが率直に記される理論水準の高い内容だ。
ところが、刊行から30年近くたった1983年、2人は『戦後革命論争史』について自己批判を行った。この本は党内から激しい批判を受け、64年に絶版にしていたものだ。これほど時間が経過していたことに加え、当時すでに党最高幹部だった「不破委員長」と「上田副委員長」がそろって自己批判したことにこの党の性質が表れていると思う。
「党内の議論を外に持ち出すな」という共産党の規律
不破氏の自己批判書は「民主集中制の原則問題をめぐって――党史の教訓と私の反省」というタイトルで、上田氏のそれは「『戦後革命論争史』についての反省――「六十年史」に照らして」というものだ。自己批判文はいずれも同年の「前衛」8月号に掲載された。
最大の問題は、「党内問題を党外にもちだし、党外の出版物で『五〇年問題』や党の綱領問題を論じるという自由主義、分散主義、分派主義の典型的な誤りを犯した」ことだという。論考の内容よりも形式、すなわち民主集中制(党中央が決めたことに従え)の原則とそれに基づく党の統一的規律を軽んじたことが問題視された。言い換えれば“党内の議論を外に持ち出すな”ということだ。
今回の田村氏のツイッター投稿も党内の議論を外部に持ち出したことになるのではないか。ツイートを削除した田村氏はこの件で党から自己批判を迫られたのか。21年の衆院選で日本共産党が議席を減らしたことについて共産党は、外に向けては激しいデマ攻撃にさらされたことが要因だと説明し、党内に向けては「政治対決の弁証法」すなわち、“勝った負けた”の闘争を通じて党が発展を遂げると説明している。