名を捨てて実を取った分別のある人物
晩年、氏真は江戸で暮らしたが、その七十七歳の生涯を終えたのは慶長十九年(一六一四)十二月のことであった。
氏真の死後、幕臣となっていた旗本の今川直房、同じく旗本の品川高久は高家に取り立てられる。高家と言うと、殿中松の廊下で勅使接待役の浅野内匠頭長矩に斬り付けられた吉良上野介義央が有名だろう。
高家は幕府の儀典係として殿中儀礼を指南するほか、幕府から朝廷への使者も務めた。つまり京都の御所にもあがっている。伊勢神宮や日光東照宮などへの代参役、勅使の接待にもあたった。そのため、高家は相応の格式を持つ者でなければならなかったが、そこで白羽の矢が立ったのが室町幕府以来の名家だった。
江戸幕府としてはこうした名家の末裔をして幕府の儀典係を務めさせることで、徳川家に箔を付けたいもくろみが秘められていた。その点、今川氏(品川氏)は高家に取り立てるのにふさわしい名家であった。
戦国の世に翻弄された氏真は大名としては今川氏最後の当主となってしまったが、裏切られた家康による世話を受け入れ、子孫もその幕下に甘んじることで、江戸時代に入っても今川の家名を存続させることに成功する。
氏真の先入観を取り払い、再評価するべきだ
現在では、NHK大河ドラマ『どうする家康』では溝端淳平演じる氏真が注目を集めている。蹴鞠や和歌に興じる「暗愚な君主」像に依拠することなく、次々と家臣たちに離反され、時代の流れにあらがえなかった悲しき君主像を打ちだしている。この点では前進だ。
筆者は、今川氏を滅亡させた暗愚な君主という先入観を取り払って、「名を捨てて実を取った分別を持った人物」として再評価すべき時に来ているのではないだろうかと考えている。大河ドラマがそのきっかけになることを期待したい。