過剰な水分摂取は命の危険がある

【神話】
いくら飲んでも体に悪影響はない

人は食べなくても数カ月間生きられるが、水がないと2~3日で死ぬ。水は大切だ。だから、水をどんどん飲もう。厚労省も「健康のため水を飲もう」と推進運動をくり広げている。健康にいい水だから、いくら飲んでも体に影響はないのか?

【科学的検証】
ウソである。

1日にコップ8杯の水を飲んでも、体に害はない。だが、体のシグナルが示す以上の水を飲むほうがいいと信じて実践すると、危険に遭遇するので、注意すべきである。過剰な水分摂取が危険なのは、これによって血液中のナトリウム濃度が極端に低下するからである。

通常、血中ナトリウム濃度は136~143mEq/Lの範囲内にあるが、135未満に低下することを「低ナトリウム血症」と呼んでいる(*5)。実際のところ、血中ナトリウム濃度が130以上あれば、これといった症状はないが、これ以下になると、軽い虚脱感や疲労感に襲われる。そして120以下になると、頭痛、精神錯乱、悪心、食欲低下に襲われる。そのまま放置すると、命が危ない。要するに、水を大量に飲むと、命が危険なまでに血液中のナトリウムレベルが低下することがある。

水を飲み過ぎるのは、激しいスポーツの後や大量の飲酒の後が多い。水分の過剰摂取による健康被害で記録されているのは、陸上選手の場合である。スポーツ競技中に水を過剰に摂取したことによって死亡した陸上選手は、最近の10年間で、記録されているだけで、少なくとも15人に達する。なぜ、水を飲み過ぎたのか?

(*5)mEq/Lは「ミリイクイバレント」の略で、電解質の量をあらわす単位で、物質量(mmol)×イオンの価数で計算する。

マラソン中に大量に水を飲んで救急搬送

ロンドン・トライアスロンのスポーツ医であるコルトニー・キップスさんは、こう推測する。理由のひとつは、私たちがノドの渇きをあまり信頼していないこと、もうひとつは、私たちが、脱水を防ぐ思いがあまりに強いため、体が求める以上に水を飲む必要があると考えている、と。

キップスさんは、こう続ける。「病院の看護師や医師は、重い病気にかかっていたり、水分を数日間も摂れなかったりといった深刻に脱水した患者に遭遇します。しかし、こういったケースは、人々がマラソン中に心配する脱水とはまったく異なるものなのです」。

生田哲『「健康神話」を科学的に検証する』(草思社)

マラソン競技中に大量に水を飲んで「低ナトリウム血症」になった例を紹介しよう(*6)。ジョハンナ・パケンハムさん(当時53歳)は、最高気温を記録した2018年、ロンドンマラソンに出場した。しかし、彼女は大会のことをほとんど覚えていない。なぜならば、彼女は、マラソン中に5L近い水を飲んだ結果、水分過剰のために「低ナトリウム血症」を起こし、倒れたからである。その日のうちに彼女は、ヘリコプターで病院に搬送された。

彼女は、こういう。「私の友人と夫は私が脱水していると思い、大きなコップで水をくれました。でも私は激しい発作に襲われ、心臓が止まってしまいました。ヘリコプターで運ばれた日曜日の夕方から翌週の火曜日まで、何も覚えていないのです」。

その後も彼女はマラソン大会に出場を続けたが、彼女の友人もマラソン用のポスターも「たくさん水を飲みましょう」と主張するばかりだった。彼女は、「これほど単純なことが死につながることをみんなに知ってほしい」と訴えている。

(*6)Emily Ford, Andover runner almost died drinking five litres of water

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