リスキリングと相性が悪い「中動態的キャリア」
誤解のないようにここで強調しておきますが、「中動態的」であることに、正しいも正しくないも、良いも悪いもありません。先ほどのような状況を見て、「欧米的なキャリアになるべきだ!」と能動性の欠如を嘆きたくなってしまうのは、まさに「能動/受動」という「新しい区別」を用いた二分法に縛られている発想です。実際、世界を見渡してみても、労働者階級の就業感はそれほど「能動的」な人々ばかりでもありません。
しかし、確かに「学び」や「リスキリング」とこの中動態的なキャリアは極めて相性の悪いものではあります。中動態的なキャリアの副作用を簡単にまとめれば、以下のようなことです。
2.職業的専門性を蓄積する習慣がつかないこと
3.中高年になってからの成果と期待がアンマッチを起こすこと
筆者はもはや中動態的なキャリアの在り方は、これからの就業年数の長さとビジネス環境の変化、そして何よりリスキリングと相性が悪すぎるという面で、限界を迎えていると考えています。
個人の意思を発芽させる仕組みが不可欠
一方で、企業が作るリスキリングについての資料を見れば、「主体的な学びを促進」「自律的なキャリア形成」といった、耳馴染みの良い言葉で埋め尽くされています。会社というのはほとんどの場合そうしたキレイな体裁を整えたがるものですが、多くの場合、こうした言葉は空転していきます。
より端的に言えば、そうした言葉は、「個への過剰期待」の現れです。先ほどのようなマクロ・ミクロな環境の中で「中動態」的に働いている従業員に対して、「個性の時代だ」「らしさの発揮だ」といくら煽っても仕方ありません。
この状況を変えるには、やはり企業内部の「中動態」的なキャリアのあり方を変える必要があります。それは、流動性を上げたり転職マッチングの機能を増強したりといった「外部労働市場に期待する」やり方ではなく、企業内部の人材マネジメントの在り方こそが変わるべきです。
具体的には、企業内において、働くことや学びについてのなんらかの「個の意思」を発芽させるような仕組みの変更です。詳細を語るには紙幅が足りませんが、筆者は常々、企業内部の流動性の質を変えるための「対話型ジョブ・マッチング」の仕組みが必要だと提唱しています。
今広がってきたキャリア研修や公募制度、社内FA制度などはその一部の現れですが、多くの企業はうまくいっていません。ベースとなる「個」への対話の機会や、学びのコミュニティ化といったそもそもの「意思」を発現させるような仕組みが欠如したまま制度だけ入れるからです。キャリア・カウンセリングの習慣も無い日本においては企業が提供するしかありません。意思を発生させないまま、変化に適応できない個人を再生産し続けているのは、企業の人事管理そのものです。
日本の「リスキリング」ブームが今もなお突き進んでいるように見える「笛吹けど、踊らず」状態を脱せられるかどうかは、リスキリングの実践と議論を、ただの研修によるスキル注入のレベルから、人材マネジメント総体の水準へと接続できるかどうかにかかっています。