「自分で選んでいる」からこそ無理をしてしまう
労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも、「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負なのです。だからこそ、「職務をまっとうしなくては」という責任感が生じてきます。
実際、就職活動の面接で「なんでも死ぬ気でやります!」と自分の自由を進んで手放した経験のある人は多いのではないでしょうか。最低限の生活を保障されながら嫌々働かされている奴隷との違いは、明らかでしょう。
自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をします。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまうのです。これは資本家にとって、願ってもないことでしょう。“資本家にとって都合のいい”メンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡は、これを「魂の包摂」と呼んでいます。
誰もが「モーレツ社員」を目指してしまう
本来、際限のない価値増殖を追求する資本家の利害・関心と、人間らしい生活を望む労働者の利害・関心は相容れないものです。ところが、自由で自発的な労働者は、資本家が望む労働者像を、あたかも自分が目指すべき姿、人間として優れた姿だと思い込むようになっていく。
高度成長期の「モーレツ社員」や、バブル期に流行った栄養ドリンクのキャッチフレーズ「24時間戦えますか」などは、その好例でしょう。資本主義社会では、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていくことをマルクスは警告していたのです。