宗教色がゼロなので扱いが軽くなってしまう
無感動で形式的な儀式なので、ありがたみがない。ナショナリズムも刺激されないし、日本人でよかったと実感できない。当然、批判や揶揄する声が続発する。例えば、先ほども触れたように今、国葬招待状の「欠席」にマルをつけて、SNSにアップするような動きがあるが、もしこれが戦前のように天皇が主催者の宗教儀式だったら、こんな敬意の欠いた行為をする人はいないはずだ。
右翼団体に襲撃される危険があるだけではなく、自分が信仰をしていなくとも、神仏などに対して、日本人は一定の敬意を払っているので「罰当たり」なことはしないものだ。
しかし、今回の国葬は天皇陛下も神道も仏教も関係ない、「宗教色ゼロのお別れ会」なので、政府主催のイベントを批判するようなノリで、みんな好き放題に叩くし、文句も言うしバカにする。こんな国民からの敬意ゼロの「無感動な官葬」で送り出されることになってしまった、安倍元首相が気の毒でしょうがない。
多くの国民をシラけさせる3つの理由
もちろん、国民の多くが「安倍国葬」に対して反対している理由はこれだけではない。愛国心溢れる「保守」の皆さんは、反政府・反日的な野党やリベラル文化人が悪いとか、国葬を盛り上げない「マスゴミ」のせいだと思っていらっしゃるようだが、それは彼らの影響力を過大評価している。
多くの国民が「国葬」にシラけているのは、ごくシンプルに納得感がないからだ。大きなポイントは以下の3つだと筆者は考えている。
1.歴代首相が「国葬」でなくても、国民の生活になんの支障もなかった
2.自民党内で「旧統一教会狩り」をしている一方で、ラスボス的存在の安倍元首相を「英雄」とする矛盾
3.日本のお茶の間で馴染みのある「ベタな海外VIP」が出席しない
まず、「1」から説明しよう。国葬賛成派の皆さんは、「安倍元首相の実績を鑑みれば国葬は当然だ」「国葬に反対するなんて日本人の風上にも置けない」と熱心に世論へ訴えかけるが、これまでの歴代首相で国葬としたのは、吉田元首相以降はゼロという動かしがたい事実がある。