嬉しそうに笑った信長

信長の優しい気持ちにほだされて、村人たちは、必ずそうしますと誓った。一年後、信長がまた山中を通過したとき、辺りは見違えるようになっていた。そして、いつくしみ深い表情をした一人の中年者が走り出て、信長の前に手をついた。

「誰だ?」

聞くと、男は、

「あのサルの物乞いでございます」

といった。信長は驚いた。

「見違えたぞ。いったい、何が起こったのだ?」
「あなた様のおかげでございます。村の人たちが大変温かくしてくださり、いまはこうして村のためにいろいろと働かせていただいております。それと、いつかお話しした私が物を盗った女性が、この間たまたまここを通りかかりました。私は、あの時のことを詫びて、盗った物を全部返しました。女性は、そんなことはもう忘れたといってくれましたが、気持ちがスッキリいたしました。そんなこんなで、私の気持ちが洗われ、もう一度人間に戻ることができました。有難うございました」

これを聞くと、信長は嬉しそうに笑った。そして男に、

「よかったな」

といった。

信長の国では強盗も人殺しも出ない

信長が治めた岐阜や安土は、道路や橋が整備された。今でいえば、都市基盤が整備された。

それだけではなかった。信長の治める国では、絶対に強盗や人殺しが出なかったという。だから、夏でも住む人々は窓や戸を空け放したまま寝ることができた。また、旅人が木の陰で寝込んでしまっても、持っている荷物を盗む者は誰もいなかった。

こんなところにも、信長の意外な優しい一面がうかがわれる。かれが若い頃、その“うつけ”ぶりを発揮していたのを悲しんで、傅役の平手政秀が諫死した。信長はひどく傷付き、事あるごとに空に向かって政秀の霊に、「政秀、元気か?」などと呼びかけた。これも、かれの意外な一面である。

信長は本当はそういうふうに優しい一面を持っていたが、何しろかれが歴史に対して果たさなければいけない役割は、「日本の古い価値観の破壊」だったので、ゆっくりしていられなかったのだろう。かれは時代の疾走者であった。そのため、いろいろ誤解が生まれた。

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