「冒険者ではなく攻略者になってほしい」という願い
ひろゆき氏の世界観にはなんとも「夢がない」と思われるかもしれないが、しかしこれはひろゆき氏が好んではじめたことであるとは言い難い。
いまの時代を生きる子どもたちには、世の中の謎に対して目を輝かせ次々とそれらを追いかけ解き明かそうとする「冒険者」ではなく、世の中の謎によって足を掬われないよう、それを要領よくパスして成功する「攻略者」になってほしい――子どもたちにそう願ってきたのは、ほかでもない世の大人たちだからだ。
もっともコスパがよく、もっとも合理的で、もっとも優秀な生き方を知っておかなければ、ライバルとの競争に差をつけられて、結局は「負け組」になってしまう、そんな強迫的ともいえる感覚が若年層(とその親たち)にひろく内面化されているからこそ、いま小学生どころか中高生にも「ひろゆき」ブームが起こっている。
「頭のいい人はこうしている」「優秀な人はこうしている」「成功した人はこうしている」「コスパのいい生き方はこうだ」「賢い生き方はこうだ」――いわゆる“勝ち組”たちが、この人間社会をどのように「攻略」してそのポジションを獲得したのか、それこそが当世の人びとの最大の関心事だ。ひろゆき氏はそのニーズに答えられる存在だからこそ重宝されている。今回出された「児童書」も同じ延長上にある。ひろゆき氏はいうなれば「大人はこんなことを君たちに求めているんだよ」と代わりに伝えているに過ぎない。
「冒険の手引き」ではなく「攻略本」が欲しい
ひろゆき氏のメタ的でシニカルなスタンスが、イマドキの子どもたちや若者世代に支持されていることは、一部のインテリなネット民にはいたく不評で腹立たしいことのようだ。
しかしながら、ひろゆき氏は原因というより結果だ。
ロールモデルが崩壊し、終身雇用も消え失せ、自動的に大人になるライフイベントはなくなり、だれもが本当の意味で「自己責任」でこの社会をサバイブしていかなければならない時代において、若者たちがかつての時代のように好奇心の赴くまま世の中に散在する、いわば「サブクエスト」に惹かれて横道にそれてばかりでは、ライバルに埋めがたい差をつけられてしまう。
人生のステージを着実に上昇させる「メインクエスト」がどれであるのかをすばやく見極め、それを効率的に攻略していく――そんな「合理的でコスパのよい生き方」を大人たちが求めているからこそ、「ひろゆき児童書」は世に送り出された。