きれいな自然と歴史的な街に一目ぼれ

ミラノを脱出するならばどこがいいのか。夫妻は物価の高さからミラノ郊外を敬遠すると、300キロメートル以上南下してルネサンスの中心地トスカーナ州を視察。ミラノ郊外以上の高物価に驚いてトスカーナも諦めざるを得なかった。

続いて、トスカーナから東へ100キロメートル以上ドライブしてマルケ州北部に入った。物価が安いうえにきれいな自然と歴史的な町があるじゃないか! 夫妻は地域一帯に一目ぼれした。歴史的な町とは世界文化遺産に登録されているウルビーノのことだ。

ウルビーノには1506年創設のウルビーノ大学がある。この点は重要だった。夫妻は大学教員らしく「田舎に住むにしても大学に近い場所にしよう。子どもが将来勉強できるように」と考えていたのだ。

初年度の留学生はたったの4人だった

最終的に夫妻が選んだ場所はウルビーノから車で30分の集落ウルバーニアだった。

写真提供=筆者
ウルバーニア郊外のホテルからの眺望

夫妻は大学発ベンチャーとして語学学校の設立で一致し、ウルバーニア移住後にチラシを作ってマーケティングを開始した。初年度の留学生はたったの4人。夫は事務作業をこなしつつイタリア語やイタリア文化を教える一方で、妻はホストファミリーとして食事や住居など留学生の生活面をサポートした。

その後はとんとん拍子で事が進んだ。マーケティングや口コミが功を奏してチェントロへの留学生は急ピッチで増え、数年後には早くも年300人を突破。夫妻の予想をはるかに上回る拡大ペースだった。

「小さい町で小さいベンチャー――これがカギです。留学生は地域コミュニティーとつながって多くを学べますからね」とパゾットは言う。「われわれは大都市の語学学校と競合せずに事実上の独占状態を築いたんです」

500人の留学生を集落全体で受け入れる

地域コミュニティーとのつながりという意味で注目すべきなのは「アルベルゴ・ディフーゾ」だ。過疎対策のために1980年代のイタリアで生まれたムーブメントであり、空き家など地域に残る資産を活用して地方創生を図る点に特徴がある。

繰り返しになるが、ウルバーニアにはコロナ前までは毎年500人前後の留学生――全員がチェントロ留学生――がやって来て、平均で1カ月滞在していた。どこに泊まっていたのか。

空き家を改修したアパートの場合もあれば、空き部屋を提供するホストファミリーの場合もあった。要するに、ウルバーニア全体が一つの「分散型ホテルシステム」となり、留学生を受け入れていたわけだ。まさにアルベルゴ・ディフーゾである。