ケースワーカーの「がんばろう」という言葉が刺さる

仕事を休んで家にいることに罪悪感があった。怠けた暮らしをしていることを誰かが監視しているのではないかとさえ思った。カーテンを閉めきり、外にはほとんど出なかった。

必要な食料品はインターネットで注文した。2週に一度の精神科への通院も、帽子を目深にかぶり、大きなサングラスをし、なるべく人目を避けた。

貯金は思いのほかに早く尽きた。家賃の支払いに困った彼女は、調べているうちに生活保護の案内へたどり着いた。

22歳のときに生活保護受給者になった。母親に相談するという発想は、彼女にはなかった。

福祉事務所で実施している就労支援を受け、面接を通り幾度も採用された。しかし、いざ仕事がはじまると長くは続かなかった。パニック発作はなんとか抑えられたが、人の視線に対する怖さが和らぐことはなかった。

変わらず続けていた精神科への通院で、医師は休むように彼女に言った。これを受けて就労支援は、ひとまず中止になった。

通院と並行して、民間のカウンセリングルームにも通った。なるべく費用が安いところを探した。彼女の管轄の福祉事務所には、自立支援の一環としてカウンセリング料金を助成する制度があった。担当ケースワーカーからの勧めで、それを利用することにした。

「がんばって、よくなっていこうね」

そんなケースワーカーからの言葉の裏に、「いつまでも怠けていないで、働けるようになって」という意図を彼女は感じた。

カウンセラーのためにがんばらなくてはいけないのか

カウンセラーは、やさしそうな雰囲気の女性だった。家庭環境のことを聞かれた。そして、これまでの人生のことを話した。すると、涙を流しながら「大変だったわね」と何度も言ってくれた。しかし、その様子に、本当にわかってくれているのかと疑問を感じてしまった。どことなく、嘘っぽく思ったという。だから、そこに通うことはやめてしまった。

また違うところにも通った。今度は博識そうな男性カウンセラーだった。同じように幼少期からの家庭環境を聞かれた。そこで言われたのは、「過去のことは過去のこととして、生きていきましょう」だった。そうやって、前向きになろうと努力したことは彼女にもあった。だが、そう簡単に前向きになることはできなかった。

認知行動療法も受けたが、思うような効果は得られなかった。カウンセリングに通うことをやめようとしたが、「もう少しがんばってみましょう」とカウンセラーは言った。すると、カウンセラーのためにがんばらなくてはいけないような気がしてきて、ますます足が向かなくなった。