暴言や体罰などで保護者や同僚から問題視される教師が、なぜ処分を受けないまま教壇に立ち続けるのか。ライターの大塚玲子さんは「外部の通報窓口の設置に加えて、保護者が声をあげていくことも必要だ。日本では学校の教職員の任免に口を出すことがタブー視されている。指導死などの事案が発生すると、PTAが学校側について教員をかばうケースも見られる」という――。
2019年に熊本市立中1年の男子生徒が自殺した問題で、謝罪する同市の遠藤洋路教育長(左端)ら=2022年12月2日午後、熊本市役所
写真=時事通信フォト
2019年に熊本市立中1年の男子生徒が自殺した問題で、謝罪する同市の遠藤洋路教育長(左端)ら=2022年12月2日午後、熊本市役所

同僚の教諭までもが「言動の問題」を指摘していた

2019年に熊本市で中学1年生のある男子生徒が、自ら命を絶った。それから約3年半。今月初め、男子生徒を小学6年のときに担任した吉野浩一教諭(以下Y)に、ようやく懲戒免職の処分がくだされた。

すでに報じられているように、この教諭は以前から体罰や暴言が多かったことが明らかになっている。だが驚いたことに、生徒が亡くなった後もつい先月まで、市内他校で勤務を続けていた。

10月に出された調査報告書を読み、おそろしさを感じた。他の児童も保護者も、さらには同僚の教諭までもが、以前からYの言動に問題を感じて声をあげていた。なのにYはそのまま勤務を続け、少年は自死に至っていたのだ。

なぜここまで問題がある人物が、教職を続けられたのか。報告書やこれまでの報道をもとに同事案を振り返りつつ、考えてみたい。

小学校6年生になって間もなく表れた様子の変化

亡くなった男子生徒Aさんは、小学校5年生までは元気で友達が多く、勉強もよくできる子どもだった。

様子が変わり出したのは、小学校6年生になって間もなくだった。学校から帰るとすぐに寝てしまう。トイレの時間がだんだんと長くなり、秋以降は2時間もこもることもあった。円形脱毛症も発現した。よく寝る子どもだったのに、中途覚醒するようになった。

登校する際「忘れ物をしないように」と、ランドセルがはちきれるほど教科書やノートを詰め込むようになったのも、6年生になってからだ。

2学期から3学期にかけて、身長は伸びたのに体重は減った。友人のなかには、Aさんは「元気がなかった」「イライラしていた」など指摘する子どももおり、「学校が嫌だから自殺しようかな」とAさんが言うのを聞いた、という声もあった。

浮かんでくる原因のひとつは、6年からAさんの担任になったYだった。Yは多くの子どもたちにストレスを与えていた。特にAさんの友人だった同級生は、Yから胸ぐらをつかまれるなどしばしばYに怒られており、Aさんが一緒に怒られることもあった。

3学期になると、Aさんはますます様子がおかしくなった。暗い部屋で、椅子に座りぼんやりと宙を眺めている。入浴に2時間ほどかかる。休日はずっと寝ていることが増え、平均点を上回っているのに、テスト結果を見て泣いたこともあった。

3月には、Aさんのノートに「死」「絶望」「呪」など書かれているのを他の教諭が見つけ、校長に報告している。だが、校長ら管理職はこれを保護者に伝えなかった。なお、このときノートを見つけた教諭が「担任に対するものか」と尋ねたところ、Aさんは認めなかったものの、他の児童がうなずいたという。

Aさんが亡くなったのは4月、中学に入って間もない頃だった。