「白人に反旗を翻す新しい黒人」対「白人に忠実な古い黒人」

アリの言葉に乗せられた(あるいは乗せられたふりをした)マスコミは、フレージャーを「白人陣営」へと組み入れた。その方が対立構造がはっきりしたからだ。フレージャーはアリほど言葉が巧みでなかったから、多くの人から白人のために戦うボクサーと見られた。それでこの試合は、黒人の世代の戦いとも見られた。

すなわち「白人に反旗を翻す新しい黒人」対「白人に忠実な古い黒人」という構図だ。黒人の多くがアリこそ自分たちの代表だと思った。

しかし実際はケンタッキー州の中産階級出身のアリに対して、サウスカロライナ州の極貧農家に生まれたフレージャーの方が、ずっと「黒人的」だった。

ジョー・フレージャー氏(写真=Nationaal Archief Fotocollectie Anefo/CC-BY-SA-3.0-NL/Wikimedia Commons

ろくに小学校も通わず、7歳の時から綿花農場で働き、十五歳の時に故郷を出て、フィラデルフィアの食肉加工場で働き、16歳で結婚し、すぐに子供ができ、貧困から脱出するためにボクシングを始めた男――フレージャーこそ典型的な黒人ボクサーの生き方だった。

政治的な発言をしないことを問い詰められたフレージャーはこう言った。

「私は金と車ときれいな服が欲しくてボクサーになった。それに専念するのを、なぜ責められなければならないのか」

王者フレージャーの反発

フレージャーのアマチュア時代から面倒を見てきた黒人マネージャー、ヤンク・ダーラムにとっても同じだった。元ボクサーのダーラムは第2次世界大戦中に事故に遭い、貧しいジムのトレーナーに転向した。もちろん金にはならず、鉄道の溶接工をしながら、多くのボクサーを指導したが、これまでものになったボクサーは誰もいなかった。

フレージャーの大成功により、人生の後半についに大金を手にすることができたのだ。フレージャー=アリ戦におけるダーラムの取り分は、フレージャーのファイトマネーの20パーセント、すなわち50万ドルだった。まさにフレージャーとダーラムこそ、アメリカン・ドリームの体現者と言えた。

そんな2人にとって、「本当のチャンピオンは俺だ。フレージャーはいかさまのチャンピオンだ」というアリの言葉は許しがたいものだっただろう。フレージャーはいかさまによってチャンピオンになったわけではない。努力と実力によって多くの強豪をなぎ倒し、ヘビー級のタイトルを統一したのだ。アリの徴兵拒否はフレージャーの関与するところではなかった。

フレージャーはアリに対して憎しみに似た怒りを抱いた。そして必ずアリを倒すと決意した。