「蜂のような」パンチを繰り出すも

午後10時40分、運命のゴングが鳴った。

第1ラウンド、フレージャーはかがめた体を上下に揺さぶりながら、蒸気機関車のように前進し、凶器のような左フックを振るった。

アリは軽やかに動き、左ジャブ、左ストレート、左フック、左アッパー、それに右ストレートと右フック、右アッパーという多彩なパンチで迎え撃った。速く鋭い「蜂のような」パンチを何発もフレージャーの顔に突き刺したが、スモーキン・ジョーの前進を止めることはできなかった。時折、フレージャーの左フックも命中したが、アリは効いてないという風に首を振った。

続く第2ラウンドも同じ経過をたどった。いずれもアリが取ったラウンドだったが、アリもまたフレージャーの左フックを何発か被弾していた。アリがこれほどパンチを貰うことは珍しかった。

第3ラウンドあたりから様子が変わってきた。アリの足が止まり、ロープに詰められるシーンが増えた。それとともにフレージャーの左フックが当たる頻度が上がった。

中盤、アリは明らかに疲れを見せ始めた。スタミナの配分を考えてか、パンチを出さずに休むラウンドが増えた。観客はアリの戦い方にブーイングを起こした。一方のフレージャーの方は戦い方をまったく変えなかった。独特のクロスアーム・ブロックの構えで、愚直なまでに前進し、強烈な左フックを振り続けた。ただ、その顔はアリの強烈なカウンターを浴びて腫れあがり始めていた。

会場に鳴り響いた悲鳴

第11ラウンド、フレージャーの強烈な左フックがクリーンヒットし、アリの腰ががくんと落ちた。明らかに効いていたが、フレージャーはこのチャンスを生かすことはできなかった。

次の第12ラウンドと第13ラウンドはアリも必死の反撃をした。渾身の力を込めたパンチを何発もフレージャーに見舞ったが、フレージャーもパンチを打ち返した。

フレージャーの闘志は驚異的なものだった。アリのパンチをどれほど浴びても、決して前進をやめなかった。唸り声を上げながら(テレビでも聞こえた)左フックを打つ姿は鬼気迫るものがあった。後にフレージャーが語ったが、最後の3ラウンド、彼ははるか昔の南部の農場での過酷な日々を思い出していたという。

試合はついに最終ラウンドに突入した。すでにフレージャーの顔はどす黒く腫れあがってバスケットボールのようになり、鼻と口からは血が流れていた。アリもまたフレージャーの左フックによって、顔の右半分が異様に腫れあがっていた。

そのラウンド半ば、フレージャーの怒りを込めた左フックがアリの顎を捉えた。アリは両足を跳ね上げて仰向けにダウンした。MSGに悲鳴が轟いた。

モハメド・アリからダウンを奪ったジョー・フレージャー=1971年3月8日、マジソン・スクエア・ガーデン
写真=dpa/時事通信フォト
モハメド・アリからダウンを奪ったジョー・フレージャー=1971年3月8日、マジソン・スクエア・ガーデン

誰もが(アリのドクターであったパチェーコでさえも)アリはもう立てないと思ったが、プライドの塊である前チャンピオンは何事もなかったかのように立ち上がった。驚嘆すべき意志の力だった。

しかし甚大なダメージを負っているのは明らかだった。フレージャーはKOを狙って猛攻したが、アリは懸命に耐え抜いた。そして、ついに試合終了のゴングが鳴った。その瞬間、フレージャーは血だらけの顔で勝利の雄叫びを上げた。

判定は3-0でフレージャーの勝ち――アリの不敗神話が崩れた時であった。