激辛への挑戦! 湖池屋「カラムーチョ」

日本で初めてポテトチップスを作った湖池屋が、1984年、当時の食品業界ではタブー視されていた「激辛」に挑戦し、小売店での取り扱い拒否を乗り越えてヒットを実現した「カラムーチョ」。この商品は、強力なライバルであるカルビーへの対抗の一手として生み出された「型破りのヒット商品」だった。

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1958年、揚げ菓子などのおつまみ菓子メーカーとして創業された湖池屋は、創業者の小池和夫氏が酒場でおつまみとして出てきたポテトチップスを食べ、その美味しさに感動し、試行錯誤の末に「コイケヤ ポテトチップス」の量産・商品化に日本で初めて成功した。これが1962年に最初のポテトチップスとして世に出ると、人気の高まりと共に、多くの菓子メーカーがポテトチップス市場へ参入していった。

その中で一歩飛び出たのが、後発のカルビーだった。カルビーは1964年発売の「かっぱえびせん」を大ヒットさせると、その利益を後ろ盾に、ポテトチップスでは利益度外視の低価格戦略に踏み切る。当時、各社150円で横並びだったところ、カルビーは100円で販売する価格破壊を起こした。加えて、1978年に出た新味「コンソメパンチ」も大人気となり、カルビーはポテトチップス市場の王者に君臨した。

カルビー対抗の一手として業界のタブーに挑戦

カルビー参入前にはトップシェアを握っていた湖池屋は、カルビーの躍進によってシェアを激減させ、窮地に立たされた。そこで、日本で初めてポテトチップスを作った、いわば「本家」の湖池屋が、対抗の一手として、カルビーの逆を行く「型破り」な商品開発に踏み切ることになる。それが、当時の日本の食品業界でタブー視されていた「激辛」への挑戦だった。

商品開発にあたり、アメリカへ視察し、その頃にアメリカで人気だったメキシコ料理の辛いチリ味に注目した。日本は唐辛子など辛さに馴染みのある食文化を持っている点と合わせて、業界のタブーだが勝算はあると考え、社内で激論の末、最後は社長判断で商品化を断行することになった。